浦学野球部OB 情報

敬称略

※期生が間違っている可能性もあります お気づきの方は管理人までご連絡下さい

 2024年
 
鈴木 健 8期 現:野球評論家
西武を追われた元四番・鈴木健が
ヤクルトでカムバック賞を受賞できた理由【逆転プロ野球人生】


誰もが順風満帆な野球人生を歩んでいくわけではない。
目に見えない壁に阻まれながら、表舞台に出ることなく消えていく。
しかし、一瞬のチャンスを逃さずにスポットライトを浴びる選手もいる。
華麗なる逆転野球人生。運命が劇的に変わった男たちを中溝康隆氏がつづっていく。

★黄金時代の西武で苦しい日々

「このまま二軍なら、トレードに出してください」

ファームでどれだけ打っても上げてもらえない現状に絶望した若者は、二軍監督にそう直訴した。
西武時代の鈴木健である。浦和学院では高校通算83本塁打を放ち、
当時“キヨマー”と呼ばれた2学年上の清原和博と比較され、愛称は“ケンマー”。
3年夏の甲子園で、あの伊良部秀輝(尽誠学園)が鈴木を意識して、
4打席の対戦で18球すべてストレート勝負を挑んだ同世代のトップランナーでもあった。

早大進学を表明していた鈴木だったが、身長187センチの超高校級スラッガーをプロも放っておかない。
1987(昭和62)年11月18日、鈴木は同級生たちと富士急ハイランドでの遠足を楽しんでいた。
クラスメイトと大ハシャギする17歳は、その最中に自分が「西武1位指名」されたことを知るのである。
秋山と清原は右打者、ここに左の鈴木を加えたら、AKS砲の120発トリオが完成する――。
ゆくゆくはポスト石毛宏典として三塁を任せられるだろう。
黄金時代に突入しつつあった西武は、最強クリーンアップ形成を目指し
地元の逸材の強行指名に踏み切ったのだ。

ドラフト翌日、西武スカウト陣と根本陸夫管理部長が直々に
浦和学院に指名の挨拶に訪れるも、退部届けを出していない鈴木とは接触できず。
だが、深夜にまで及んだ家族会議で、早大への願書を提出しないことに決めた。
いざプロ入りを決断すると、背番号8を与えられ、異例の早さの12月7日に入寮。
入団発表の席上、カメラマンの前に立ち堂々とユニフォーム姿でポーズをとってみせる
やんちゃ坊主に、坂井保之球団代表は「あんなに多くの報道陣を前にして、“似合いますか”なんて
清原も工藤も言えなかったんだけどね」とその強心臓ぶりに驚いた。

ベスト体重を7キロもオーバーしていたため、大好きなケーキを我慢するゴールデンルーキー。
「秋山さん、清原さんには負けません。すぐに一軍? いけます。自信もあります」と豪語するも、
守備・走塁面で課題も多く、1年目の2月には米国A級サンノゼ・ビーズ行きを通告される。
アメリカでの武者修行は、142試合中、出場はわずか8試合。
18打数1安打という惨惨たる成績で帰国する。
プロの厳しさを痛感し、帰国後は目の色を変えて夜間のマシン打撃に取り組んだ。
2年目は春先に自打球を当て二軍に降格するも、6月に一軍昇格すると
近鉄戦でプロ初安打をマーク。
翌90年にはファームで首位打者に輝き、4年目の91年にはなんとイースタンで
打率.401を記録して2年連続のリーディングヒッターに。
秋山や清原という球界を代表する長距離砲にパワーで対抗するより、
とにかく自分は率を残そうとバットを振った。
一方で二軍では敵なし状態も、黄金時代真っ只中の一軍では出場機会が限られ、
和田博美二軍監督に「これ以上、何をしたらいいんですか?」と
トレード志願したのもこの頃だ。鈴木はのちに当時のやるせない心境をこう回想している。

「(一軍で)固定されていないポジションはレフトしかなく、若手が入り込む余地は全くなかったです。
入団してから4~5年は一軍二軍を行ったり来たりでしたから、
西武に入団したことを後悔したこともありましたね。歳の近い谷繁(谷繁元信)君は大洋、
立浪(立浪和義)君は中日で1年目から一軍で活躍していましたから、
もう少し早く一軍で活躍できる球団に入団していればと……今でもちょっと思いますね」

★清原がFA移籍で去った年に飛躍

85年からの10シーズンで9度優勝という黄金時代の西武で、若手がレギュラーを掴むのは至難の業だった。
それでも、91年9月23日の近鉄との天王山で同点に追いつくプロ初アーチを叩き込み、
92年には野村ヤクルトと対戦した日本シリーズで代打3ランを放った。
転機は、3年連続ホームラン王のデストラーデがメジャー復帰のため退団した93年シーズンだ。
プロ6年目、このチャンスをつかまなかったら野球人生が終わるとすら思った。
片平晋作打撃コーチとマンーマンで練習に取り組み、119試合で打率.270、13本塁打、51打点。
翌94年には規定打席不足ながらも打率.350、12本塁打と完全に主軸打者の仲間入り。
上体を柔らかく使う打撃は天才的で、四番の清原が「オレの下半身とケンの上体があったら50発、
打率4割近く打てる」と絶賛するほどだった。

その清原が巨人へFA移籍した直後の97年シーズンが、鈴木には飛躍の年となる。
2年前に森祇晶から東尾修監督へと代わり、黄金時代を支えた選手たちが
立て続けにチームを去り、世代交代は急務だった。
自分のことだけ考えてプレーしていた若者が、区切りのプロ10年目で初めて責任を強く感じた。
シーズンを通して四番を務め、打率.312、19本塁打、94打点。
10月3日のマジック1で迎えた本拠地・西武球場でのダイエー戦、自らサヨナラ弾を放ち、
3年ぶりのリーグVを決める。
オリックスのイチローと並ぶリーグトップの得点圏打率.373の勝負強さを誇り、90四球もリーグ1位。
初の最高出塁率(.431)のタイトルも獲得した。
自分が先頭に立ち、チームを引っ張っての優勝の味は格別で、プロ最高のシーズンを送った。
翌98年からは選手会長を務め、チームはリーグ連覇。年俸も1億円を突破と
鈴木は野球人生の絶頂にいた。

だが、2000年には打率.249で30傑の28位、8年ぶりに一桁台の6本塁打と打撃不振に陥る。
松坂大輔、松井稼頭央という投打の若きニュースターも出現し、01年には一塁アレックス・カブレラと
三塁スコット・マクレーンのツイン・バズーカが猛威をふるった。
チームの中心から徐々に弾き出されるタイミングで、02年には伊原春樹が監督就任。
二転三転する起用法に両者の溝は深まり、出番を失っていく。
なんで調子はいいのに使ってくれないのか。オレの居場所はもうないのか……。
車を運転しながら、球場へ行きたくないと思う日すらあった。
二軍降格を告げられても、ベテランの自分が腐っていたら若い選手に悪影響を及ぼすと、
四番打者としてイースタン優勝に貢献。
そんな鈴木の背中を見て育ったのが、若手時代の中島宏之や栗山巧だった。

そして、02年の日本シリーズで西武が巨人に4連敗した翌日、球団から構想外を告げられるのだ。
選手会長を務め、チームのためとFA権を取得しても行使せず、不甲斐ない成績に
自ら3000万円の減俸を申し入れたこともあった。なのに上司とぶつかると、あっさり出されてしまうのが
組織というものだ。やがて恩師の東尾の仲介もあり、ヤクルトへの金銭トレードが決まる。

★ヤクルトで生まれ変わった姿

33歳、プロ16年目の再出発。もう若くはない。
だが、若くはないからこそ、己の姿を客観視することができたのだ。
移籍先で過去の自分と同じことをやっていたらダメだと考え方を変え、
これまでの開幕に間に合えばいいという調整法も変えてオープン戦から結果を求めた。
西武時代はたびたび精神面のムラを指摘されてきたが、自主トレに呼んでくれた
プロゴルファーのジャンボ尾崎から、「自分の感性を大事にしろ。自分の感じたものを大事にしろ」と
アドバイスされ、打席に立つ際にデータは参考程度にとどめ、エースが来ようが、
左ピッチャーが来ようがイチ投手だと割り切って打席に立った。

03年シーズン、当初の鈴木はベンチスタートも、開幕してすぐレギュラー三塁手の岩村明憲が故障離脱。
新背番号9は開幕2戦目から代役スタメン出場、3戦目には移籍後初アーチを含む猛打賞をマークする。
そのまま「五番・三塁」に定着すると、4月10日巨人戦では4安打6打点で神宮のお立ち台に。
序盤は5割近い得点圏打率を誇り、首位打者争いを牽引する。
前年、シーズンを通して試合に出ていなかった鈴木のことを考え、適度に休養を挟むなど何かと気にかけてくれた
若松勉監督も、「ケンがいなかったらと思うとゾッとする」とベテランの復活を称えた。

もともと変化球への対応に自信を持っていた鈴木だったが、直球で押すパ・リーグの投手とは違い、
変化球攻めの多いセ・リーグの野球が合った。
週べのインタビュー企画で西武時代の同僚・大塚光二から、
「戦力外になったとき、悔しさはなかったのか?」と聞かれると、
「まあ、ないことはないですけどね」と当時の心境を語っている。

「別に深くは考えなかったですね。まだ自分はこのままで終わりたくなかったし、どこか拾ってくれたら、
どこへ行ってもやれる自信はあった。すぐにヤクルトが決まったから、ヤクルトに行って見返そうと。
そういう気持ちは今でも持ってるし」(週刊ベースボール2003年10月27日号)

戦力外の自分はFAで入ったわけではないので誰も期待していない。ダメ元でいこうといい意味で開き直れた。
ヤクルト1年目の03年は、打率.317、20本塁打、95打点と復活どころかキャリアハイの成績を残し、
97年以来自身二度目のベストナインに選出され、見事にカムバック賞を受賞する。

所沢で一度死んだ男は、東京で蘇ったのである。
その卓越した打撃技術は同僚からも一目置かれ、現役晩年は同じ左打者の青木宣親が
スランプに陥ると鈴木に打撃のアドバイスを求め、後輩にどうしたらいいか親身になって助言をしたという。

★平成引退試合の名シーン

「捕らない。捕らないっ。捕りません!」

2007年10月4日、実況アナウンサーがそう絶叫する中、三塁を守る横浜の村田修一は
あえてそのファールフライを捕らずに見送った。
いまだに平成引退試合の名場面として語り継がれる神宮球場のワンシーンだ。
現役引退を表明していた打席にいる鈴木から思わず笑みがこぼれ、
相手ベンチの大矢明彦監督まで笑っている。

8回裏に代打で登場した鈴木は、現役最後の打席で横浜3番手の横山道哉の全球直球勝負に対し
ファウルで粘りまくる。13球目は三塁フェンス際への小フライ。これをサード村田が捕球を見送り
仕切り直すと、鈴木は15球目をセンター前へ通算1446安打目を運ぶ。
一塁上でヘルメットを掲げ笑顔でスタンドに向けて挨拶した直後、
37歳の背番号9は涙を流しながらベンチへ下がった。

「粘ったというか、ボールが前に飛ばなかったんですよね。
あのときは自分もバテてきたので、捕ってくれたらという気持ちも正直なところあったんですが(笑)、
あの落球があったから最終打席でヒットを打てたので、村田君には非常に感謝しています」
(週刊ベースボール2007年11月26日号)

西武で15年、ヤクルトで5年。20年間、完全燃焼した野球人生だった。
あの屈辱の戦力外通告は、終わりではなく、始まりでもあったのだ。
男の運命なんて一寸先はどうなるか分からない――。
鈴木健は、最後に「悔いはありません。世界一の幸せ者です」と言い残し、グラウンドを去ったのである。

2024年4月22日 週刊ベースボールオンライン配信

榊原翼 37期 現:飲食業
最速150キロ超のオリックス元投手に「イップス」の異変
悩んだ末の引退決断…故郷に似た宮崎に移住


今季のプロ野球は29日に開幕する。
4年連続のパ・リーグ優勝、2年ぶりの日本一を目指すオリックス・バファローズを
応援する元プロ野球投手が宮崎市にいる。
2017年にオリックスに入団し、一軍で通算4勝を挙げた
千葉県銚子市出身の榊原翼さん(25)。
引退後、宮崎に移住し、飲食店で働きながらかつてのチームメートらの活躍を願っている。

榊原さんは埼玉県の浦和学院高から育成ドラフト2位でオリックスに入団。
同期入団にはオリックスで活躍し、今季から大リーグ・ドジャースに移籍した
都城高出身の山本由伸投手らがいた。

2年目の18年シーズン開幕前に支配下登録を勝ち取った。
19年シーズンは開幕から一軍の先発ローテーション入りし、
最速150キロ超の直球を武器に3勝を挙げた。
「相手を抑える喜びを感じていた」と言う。

しかし、飛躍が期待された20年、異変が起こる。
練習でもなかなか思うようにボールを投げることができない。
「イップス」と呼ばれる状態だった。
「結果を出さないといけないというプレッシャーで自分を追い込んでいた」と振り返る。

20年シーズンは一軍で1勝に終わった。
翌年に戦力外通告を受け、育成選手として再契約。しかし、再び一軍のマウンドに
上がることはなく、22年に2度目の戦力外通告を受けた。
体はまだ元気で、周囲から「もっとできる」と言われたが、イップスが治ることはなく、
悩み抜いた末に引退を決断した。

大阪でのアルバイト生活を経て、23年、オリックスが毎年春季キャンプを行う
宮崎市へ移住した。
「海のある町並みが古里の銚子市に似ている。
ご飯もおいしく、人や気候があたたかいすてきな町」と言う。
現在、市内の飲食店に勤める。

今年2月、清武総合運動公園で行われたオリックスの宮崎キャンプで、
ファンら向けに公園内に海鮮料理の出店を設けた。
連日店頭に立ち、ファンらに写真や握手を求められると気さくに応じた。
「現役の時はチームメートにライバル心を持っていたが、今は素直に応援している。
優勝してほしい」と話している。

2024年3月29日 読売新聞掲載

石井義人 17期 現:野球スクール経営
エースとの死別「なんで先に逝くの…」
仲良くなった矢先の訃報「今でも考えられない」


★昨年7月にがんでなくなった三浦貴さんと石井義人氏は高校時代の同級生だった

西武や巨人などで活躍した石井義人氏が、2023年7月24日に
大腸がんのために急逝した三浦貴さんへの思いを語った。
埼玉の名門・浦和学院高の同級生で、共にプロの世界でプレーした“盟友”。
「今でも亡くなったなんて考えられない」と心境を明かす。

「身体能力が高いなって印象ですね。高校2年までは自分のことに必死で気付かなかったんですけど、
3年になってタカ(三浦さん)は人とは違うバネを持っているのに気づいた。
打撃でも、投球でも。自分の中で負けたくないと思っていました。
口にはしていなかったけど、タカがライバルと思っていた。
自分は内野、タカは投手でポジションは違いましたが」

石井氏は主にセカンド、サードで活躍し、三浦さんはエースとして甲子園に3度出場。
石井氏は1996年ドラフト4位で横浜(現DeNA)へ、
三浦さんは東洋大を経て2000年ドラフト3位で巨人に入団した。

どちらも「周囲と群れる感じではなかった」という“孤高タイプ”。
イースタン・リーグの試合で顔を合わた時などには世間話はしたが「連絡先も知らなかった」。
しかし、石井氏は2002年オフにトレードで、三浦さんは2007年に戦力外となり、
オフのトライアウトを経て西武へ入団。再びチームメートとなった。

「『タカも西武に来るんだ』くらいの感覚でした。当時は同じ学校の同級生だったということで
仲が良かったと思われがちでしたが、そうでもなくて。もちろん話はしますが、
西武で仲良くしていた選手もお互い違っていました」

★「本当にこれからもっと仲良く、楽しくなると思っていた」

距離が一気に縮まったのは2人が引退した後だった。
石井氏は2019年から、OBチームで甲子園を目指す「マスターズ甲子園」の
「浦和学院OB」に加入。
そこに同校野球部のコーチだった三浦さんも顔を出していたことから、親交が深まっていった。

「久しぶりに会って、よく話すようになったんです。歳をとって丸くなったのかな。
昔の“わだかまり”が解けるじゃいなけど、腹を割って話せるようになった。
バカ話もたくさんしました。ようやく仲良く話せるようになった矢先に、タカが亡くなりました」

三浦さん自身、体調のことはごく一部の人たちにしか明かしていなかったが、
石井氏も体調が良くないことは周囲から聞いていたという。
訃報の連絡を受けた時のことは、よく覚えていない。

「多分、野球部の仲間か先輩から聞いたんだと思うけど、あまり記憶にないです。
ショックで、悲しくて。なんで先に逝くの……と」。
葬儀では永眠した三浦さんの顔を見た。
「久しぶりにタカのお母さんとも話しました。
まだ45歳。同世代が亡くなるのは本当に辛いことでした」。声を詰まらせた。

昨年11月のマスターズ甲子園では、自身の帽子のツバに「39」と記してプレーした。
三浦さんが巨人時代につけていた背番号だ。
三浦さんのユニホームも“ベンチ入り”させ、浦和学院OBは日本一決定戦で
今治北OBを破り“全国制覇”を果たした。

「タカのお墓に優勝報告に行きましたよ。大会が始まる前にも『お前の分も頑張ってくるね』と
言ってきました。でも、今でもタカが亡くなったなんて考えられないです。
本当にこれからもっと仲良く、楽しくなると思っていたから」

石井氏はこらからも浦和学院OBとして、三浦さんと一緒に戦っていく。
最高で最強のライバル同士として。

2024年3月15日 Full-Count配信

石井義人 17期 現:野球スクール経営
偶然写った“腫瘍”…医師から突然宣告
天才襲った危機「野球人生終わっていたかも」


★西武や巨人で活躍…石井義人氏は浦和学院1年の春、公式戦初打席で本塁打

西武や巨人で活躍した石井義人氏は現役時代、同僚から「天才」「テニスラケットで打っているよう」と
称されるほどの卓越した打撃技術が持ち味だった。
プロから注目されるようになった浦和学院高(埼玉)時代には甲子園に3度出場した。
だが、1年冬に「野球人生が終わっていたかもしれない」と振り返る、大きな“事件”があったことを明かした。

広角に打ち分けるバットコントロールは親子特訓の証だった。
小学5年時から高校を卒業するまで「8年間ほぼ毎日、親父とティー打撃をやっていました。
暑い日も寒い日も。高校野球の練習が終わってからもやっていました。
試合で打てなかったらボコボコにされる。小さい時は泣きながらやった日もありました。今の時代じゃ考えられないですよね」。

自宅や知人の建築会社の敷地を借りて練習。300球近く打ち続けた。
小学生の頃から大人用の980グラムのバットを使用。大人でもしっかり振るのが困難な重さだけに「さすがにちゃんとは振れなかったけど」。

それでも「おかげでバットを振る力はつきました。人より重いバットなので、まあ打球は飛びましたよ」と笑った。
父との打ち込みはつらい日も多かったが、「自分の基礎になりました。プロに入ってもそこまで打撃を
修正されることもなかったですから」と今では感謝している。

越谷リトルシニアからの高校進学時には横浜高、東北高、花咲徳栄高、埼玉栄高など数々の強豪校からの誘いがあった。
尊敬する先輩の母校だった浦和学院高を志望。同学年の野球部員は「100人くらいいた」というが、
1年生で唯一人、1994年5月の春季関東大会でベンチ入り。
2回戦で代打で初打席を迎えると、本塁打の“衝撃デビュー”を飾った。

★右膝にできていた腫瘍…自打球を受け、検査で発覚

同年夏の甲子園では2回戦で敗退となったが、1年生ながら大きな戦力として貢献していた。
ところが、オフ直前の12月にまさかの出来事に見舞われた。
練習試合で右膝に自打球を当て、念のためX線検査を受けると医師から「影みたいなものが写っています」と告げられた。

埼玉県内の癌センターでMRI検査を受けたところ、腫瘍があることが確認された。
すぐに手術を受けて腫瘍を除去。幸い早期発見で1週間程度の入院で終わった。

「びっくりしましたよ。不思議でしょ。全く痛みがなかったから気づかなかった。
腫瘍は自打球とは全く関係なかった。でも自打球を当てていなかったら発見できていなかった。
野球人生が終わっていたかもしれなかった」

骨の一部ごと腫瘍を取り除き、骨盤の一部を膝に移植。しばらくは松葉杖生活を余儀なくされた。
「骨がしっかり付くまで1年かかると言われていましたが、2年の春には部活に戻っていました。
野球の動きはある程度はできたので。スライディングも曲げるのは左足だったし」。

驚異的な回復力で戦列に復帰。野球ができる喜びを噛み締めながら、
仲間と共に汗を流し、2年春、3年夏に再び甲子園の土を踏んだ。

2024年3月11日 Full-Count配信


母から聞いたトレードに「は?」
 “監督命令”で米禁止…空腹に「クラッカー食べた」


★石井義人氏は1996年ドラフト4位で“マシンガン全盛”の横浜へ「ついていけない」

西武、巨人などで活躍した石井義人氏は埼玉・浦和学院高で3度甲子園に出場。
1996年ドラフト4位で横浜(現DeNA)に指名された。
6年間所属したが目覚ましい成績を残すことができず、2002年オフに西武へトレード。
この移籍は、まさかの形で知らされたという。

強豪校で1年時から、主にサードやセカンドで活躍した石井氏は横浜へ入団。
「特に行きたい球団はなかったです。どのチームでもやることは同じ。
自分のことをやって結果を出す世界だから」。
高い意識でプロの世界に飛び込んだ。
当時の横浜はマシンガン打線を“代名詞”に1998年に日本一に輝くなど球界を席巻していた。

「すぐには試合に出られないんだろうなと思った。あのメンバーだからね。
自分の目標にしたのはアベレージタイプの石井琢朗さんでした。
自分とはスイングスピードが全然違う。
高卒上がりの俺なんてついていけない。とんでもない世界だと思いました」

1年目の1997年に10試合に出場しプロ初安打もマークしたが、2年目は1軍出場機会なし。
3年目の1999年には「2軍で開幕してから打率.370くらい打っていた」というが、
夏場にスライディングで地面に右膝を強打すると、腫れが引かずに水が溜まるようになっていた。

右膝は高校1年の冬に腫瘍除去手術を受けた“古傷”がある箇所。
当時は復帰まで1年を要するとされていたが約2か月でグラウンドに戻った。
しかし、この復帰が早すぎたために、移植した骨がしっかりと馴染まずにすり減っていたことが、
腫れが引かない原因だった。再び右膝に骨を移植する手術を受けた。

★母から「西武にトレードになっているよ」で移籍知るも安堵「チャンスをもらえた」

手術の影響もあり1999年は1軍出場機会に恵まれなかったが、
2000年は41試合ながら打率.328をマーク。
2001年には西武を8度のリーグ優勝、6度の日本一に導いた森祇晶氏が監督に就任し、
入団後最多の53試合に出場したが、2002年は若手の台頭もあり22試合に減った。

「監督が森さんになって、試合前の白米は禁止になりました。
試合で動けなくなるからと。自分は用意されていたクラッカーを食べていましたね」

突然の出来事は2002年オフに訪れた。
ある朝、コンビニエンスストアに出掛けていると携帯電話が鳴った。
母が新聞を読んで驚いてかけてきたのだった。

「あんた、西武にトレードになっているよ」

「は? 何も聞いていないよ」。
急いで自宅に戻り、読んだ記事には自身と細見和史投手が中嶋聡捕手、富岡久貴投手との
2対2のトレードで西武に移籍するというものだった。
当事者に知らされる前に新聞報道で知った移籍。“順番”は違ったが怒りの感情は湧かなかった。

「高卒6年目を終えたところでした。代打が多くなっていて結果を残すのが難しく、
試合に出られなくなっていたので、そろそろクビになるかもしれないと思っていた。
またチャンスをもらえて良かったと思いました」

球団事務所に呼び出され「知っていると思うけどトレードになります」と正式に通達された。
その日は横浜の選手会納会。石井氏は引退する選手らと共に、仲間へ別れの挨拶をした。
「地元埼玉の球団への移籍だし、いい転機になると思いました」。
母から知らされたトレードは、素直に受け入れることができた。

2024年3月12日 Full-Count配信


首位打者チラつき「試合に使わないで」
感じた打席に立つ恐怖「自分の体じゃない」


★石井義人氏は“自虐”のあだ名で新天地の西武に溶け込んだ

西武、巨人などNPBで18年間プレーした石井義人氏は、横浜(現DeNA)から
2002年オフに西武へトレード移籍。2011年までの9年間所属した。
同僚から「天才」と称された打撃センスで、2005年には初めて首位打者のタイトル争いに絡んだが、
重圧から9月に“自滅”。当時の苦しい心境などをFull-Countのインタビューで語った。

石井氏は埼玉・浦和学院高から1996年ドラフト4位で横浜に入団。
2002年オフに石井氏と細見和史投手の2人が、中嶋聡捕手と富岡久貴投手との
交換トレードで西武に加入した。
最初のミーティングで伊原春樹監督に促されて行った自己紹介で、すぐに溶け込むことに成功した。

「自分はO脚で車を持ち上げるジャッキに似ているので“ジャッキー”と呼んでください」

自身のシルエットとタイヤ交換などに使う菱形の器具を重ねた“自虐”のあだ名はインパクト十分。
「しっかりと定着しましたね。監督やコーチまで呼んでくれた。おかげすぐに馴染めました」。
後にプレーする巨人でも「ジャッキー」と呼ばれ続けた。

高卒7年目で迎えた新天地では、結果を残さないといけない立場。
「駄目なら終わると思って必死だった」。持ち前の打棒が開花したのは移籍3年目の2005年だった。
正二塁手の高木浩之内野手が怪我の影響で出遅れると、開幕戦から7試合全てで安打を放ち、
27打数13安打で打率.481と存在感を発揮した。

抜群のバットコントロールで広角に打ち分け、5月17日には打率.380に到達。
チームメートからは「テニスラケットで打っている」などと言われた。
リーグの打率トップを走り続け8月終了時で.335を残していた。

★8月まで首位打者も…9月に急降下「自滅しました」

「タイトル争いなんてしたことなかったから、獲りたいと思い始めたら急に打てなくなって。
数字を落としたくないと思うと、打席で硬くなってしまった。どつぼにハマってスランプになりました」。
9月に入り打率は急降下。月間打率.128に終わるなど、シーズン打率.312で終えた。

皮肉なことに石井氏の“脅威”は同じチーム内にいた。
和田一浩外野手が夏場に入ると、徐々に数字を上げて行った。
打率.300で迎えた8月を同.317で終え、9月に入っても調子は変わらず
最終的に同.322で首位打者を獲得。結局、石井氏はリーグ4位だった。

「規定打席に到達した段階で『試合に使わないで』と思ってしましった。
そうなると打席でも四球を狙おうとして、持ち味の積極性も失われた。
練習していても自分の体じゃないみたいな感じ。自滅しました」

初タイトルは逃したが2006年も同.312を残すなど勝負強い打撃を披露。
2010年は代打要員としてもチームに貢献していた。
しかし持病の腰痛や若手の台頭もあり、2011年は出場わずか11試合に終わった。
この年の西武はレギュラーシーズン3位。主力組は10月末からのクライマックスシリーズ(CS)に備えて
フェニックス・リーグで調整する中、石井氏は遠征に帯同せず、所沢での残留練習組。胸騒ぎがした。
「2軍のコーチから『お前は大丈夫だよ』って言ってもらえたんですが……」。

不安は現実になった。オフに戦力外を通告された。
「成績が悪かったのは1年だけ。それまではある程度は貢献できていたと思っていたから
減俸かと思っていたら、スパッと切られた。頭にはきましたよね」。

現役続行を希望。当初は受けないつもりでいたトライアウトだったが、西武でお世話になった職員から
「野球に対する姿勢を見せた方がいい」との助言もあって“受験”。
無安打に終わったが、その日のうちに見知らぬ番号の着信が入った。

「どこかが興味を示してくれたと思ったけど、独立リーグの球団の可能性もあったから、
そこまで大きく期待はしていなかった。で、出てみたら巨人でしょ。まさか、でしたよ」。
伝統ある巨人からの救いの手。「嬉しかったですね」。野球を続けられる喜びが身体中を駆け回った。

2024年3月13日 Full-Count配信


戦力外にされ「見返したい」
古巣指揮官が「まさか」…巨人で果たした“リベンジ”


★トライアウトで巨人入りの石井義人氏は古巣・西武戦でスクイズを決めた

横浜、西武などでプレーした石井義人氏は、トライアウトを経て2012年に巨人に入団した。
交流戦で古巣を見返す“一打”の裏にあった驚きの真実や、
ユニホームを脱ぐと決めた時の胸中を明かした。

「巨人はそれまでの2球団とは違った緊張感はあったと思います。
やはり勝たないといけないチームなので。でも想像していたより選手の雰囲気は良かったですが、
一流の選手ばかりなのでスタメンは無理。
1軍にいるためには代打で生き残るしかないと思っていました」

巨人在籍時のハイライトは加入1年目の2012年5月23日の古巣・西武戦で訪れた。
1-0の8回1死三塁、代打で登場し、カウント1-1からの3球目。
岸孝之投手が投じた外角への球に左打席の石井氏はバットを寝かせた。
やや強い当たりのゴロは前進して突っ込む岸の左横を抜けた。
巨人で初打点となるセーフティスクイズを成功させ、チームの勝利に貢献した。

「代打で行くとは言われていたけど、ヒッティングだと思っていたから、まさかだよね。
サイン見て『え?』って。バクバクです。バントは苦手で、何度も失敗してきたから」

左手で叩きつけるように決めた殊勲打。
自身は安堵し、仲間は大喜びも「実はサインミスだったんです」と明かした。
ベンチに戻ると三塁走者だった鈴木尚広外野手からセーフティではなく、
“普通”のスクイズだったと知らされた

「『マジで!?』ってなりました。でも、普通のスクイズだったら失敗していたと思います。
岸も結構チャージしてきたし。自分も硬くなって、三塁側に転がそうとしたらフライが上がっていたと思う。
サインミスしたから決まったバントだと思います」

★西武・渡辺監督から「まさかスクイズと思わなかったよ」

翌日の試合前練習で西武側に挨拶に行くと渡辺久信監督から「まさかスクイズと思わなかったよ」と
言葉をかけられた。
「見返せた、と思いました。西武をクビになった時から、どこの球団に行くことになっても
見返したいと思っていた。
オープン戦でもヒットを打ったので、まだやれる、ということを見せられたんじゃないかな」。

劇的なスクイズを機に打撃は上向きとなり、この年は代打で37打数15安打、
打率.405という驚異的な数字を残した。
だが、持病の腰痛もあり2013年は62試合で打率.203、
2014年はわずか7試合の出場に終わり、戦力外となった。

「最後の2年間は年齢のせいか動体視力が落ちていました。
捉えたつもりの球がバットの上を通過していく。2軍で若手からアドバイスを求められることも増えて、
その子らが結果を出すことが嬉しくなった。
教える楽しさが上回ってしまった。選手として燃え尽きたんだと思います」

現役を引退し、ルートインBCリーグの埼玉武蔵や山形・佐藤病院の軟式野球チーム、
女子プロ野球で指導者を務めた。
その後、トラックの運転手として働いたが「やっぱり野球に携わりたくて」と
2022年6月から埼玉・越谷市内で「石井義人Baseball School」を開き、
子どもたちと触れ合っている。
「プロになるなら毎日頑張って欲しい。遊ぶのはあとでもいくらでもできる。
夢のためには今やらなければと伝えています」。
3度の甲子園出場と18年間のプロ野球選手生活を経て、
「天才」と称された打者は今も野球と向き合っている。

2024年3月14日 Full-Count配信
  
清水隆行 12期 現:野球評論家
清水隆行氏
50歳になった今でも「会うとピリッとする」巨人の大先輩の名前を明かす


清水隆行氏(50)が巨人でドラフト同期入団の仁志敏久氏(52)と
BSジャパネクストの野球トークバラエティー「ダグアウト!!!」に出演。
50歳になっても会うとピリッとする先輩の名前を明かした。

清水氏は「PL学園の先輩はピリッとしてしまう」と明かした。

自身は浦和学院出身だが、東洋大などで出会ったPL学園出身の先輩はやはり雰囲気が違っていたという。

巨人に入団すると大先輩にPL学園出身の吉村禎章氏(現巨人編成本部長兼国際部長)がいた。

清水氏は「怖いというより、とにかくピリッとした。
最初は22~23歳だったが、50歳になった今でも会うとピリッとする」と明かした。

2024年2月28日 スポーツニッポン ネット配信
 
鈴木 健 8期
石井義人 17期
【西武】球団初のOB戦のチーム分けが決定
松崎しげるが国歌独唱


西武は3月16日にベルーナドームで行う球団初のOB戦
「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」の
チーム分けを23日、発表した。

2日に田淵幸一氏、東尾修氏、石毛宏典氏、辻発彦氏参加のもと、
出場選手を振り分けるドラフト会議を行い、チーム分けを決定。
ホームユニホームを着用するチームLIONSは東尾氏が監督を務め、
郭泰源氏工藤公康氏、伊東勤氏などがメンバーに。
ビジターユニホームを着用するチームSEIBUはデストラーデ氏、秋山幸二氏などが入った。

また、試合前はグラウンドでレジェンドOBによるトークショーを実施。
お笑いコンビオードリーの春日俊彰、あさりどの堀口文宏がMCを務め、
球団創設期メンバー陣、黄金期投手陣、黄金期野手陣それぞれでトークを繰り広げる。
球団歌「地平を駈ける獅子を見た」を歌う松崎しげるさんが試合前の始球式と国歌独唱を務め、
試合終了後にはスペシャルライブを行う。
観戦チケットは完売。17日13時55分からBS朝日で試合の模様を放映する。

【チームLIONS】  ▽監 督 東尾修
 ▽投 手 松沼博久、森繫和、松沼雅之、杉本正、郭泰源、工藤公康、
      橋本武広、デニー友利、土肥義弘、星野智樹、十亀剣、高橋朋己
 ▽捕 手 大石友好、伊東勤、上本達之、米野智人
 ▽内野手 土井正博、行沢久隆、石毛宏典、高木浩之、高木大成、片岡易之、
      エルネスト・メヒア、綱島龍生
 ▽外野手 駒崎幸一、森博幸、笘篠誠治、大塚光二、柴田博之、G.G.佐藤、戸川大輔
【チームSEIBU】  ▽監 督 田淵幸一
 ▽投 手 鹿取義隆、小田真也、小野和幸、新谷博、石井丈裕、渡辺久信、
      渡辺智男、潮崎哲也、後藤光貴、岡本篤志、宮田和希、武隈祥太
 ▽捕 手 犬伏稔昌、細川亨、吉見太一
 ▽内野手 山崎裕之、広橋公寿、辻発彦、オレステス・デストラーデ、田辺徳雄、
      
鈴木健、玉野宏昌、石井義人、呉念庭
 ▽外野手 大田卓司、岡村隆則、秋山幸二、大友進、木村文紀、田代将太郎

◇特別ルール
 ・選手交代・同一選手の再出場は何度でも可能。
 ・代打・走塁・守備のみの出場も可能。
 ・試合は7イニング制とし、スコアに関わらず7回裏も実施。
 ・両監督の合意により、新たな特別ルールが適用される場合があり。

2024年2月23日 スポーツ報知 ネット配信

榊原翼 37期 現:飲食業
「新しい自分」を探して宮崎へ…
榊原翼が進んだ“第2の人生” 
店頭に立つ姿に同僚もエール


★元オリックス・榊原さんのセカンドキャリアに、ファンも笑顔

サインを求めるファンの姿や、かつての同僚から掛けられる言葉に支えられている。
元オリックスの右腕・榊原翼さんは感謝の気持ちを込めて、
キャンプ地に出店した海産物販売ブースの店頭に連日立っている。

現役引退して2年。キャンプ地として過ごした思い出の地、宮崎市に転居して
約9か月が経った。プロ野球の現場に姿を見せることに迷いがなかったわけではないが
「新しい自分を見てもらいたいし、宮崎を盛り上げたい」という気持ちが背中を押した。

知人の紹介で昨年6月から勤務する「日南水産」が宮崎市観光協会とイベントを
タイアップした際、協会観光誘致課係長で期間中球場に常駐して
オリックスのお世話をしてくれる矢野翔太さんと再会したのが、出店のきっかけだった。
宮崎市にキャンプ地を移して10年。節目の年であり、元投手が店頭に立つブースを
ファンサービスの1つとして設けることになった。

ブース出店当初はチーフマネジャーの樋口沙耶香さんと調理、接客にあたっていたが、
今では応援に駆けつけた同期入団の根本薫さんと2人でブースを任されるまでになった。
店頭ではサインや記念写真などファンからの求めに気軽に応じる。
2月2日のキャンプ初日には湊通夫球団社長が訪れたほか、
同期入団の山崎颯一郎投手や富山凌雅投手らも姿を見せ、声を掛けていた。
連日、行列ができるほどの人気店だ。

キャンプが休日の日には、JR日南線小内海駅前の店舗で通常通りに働く。
期間中に休めるのは、店の定休日と重なる1日だけというハードスケジュールだ。
それでも榊原さんは「一般の方は朝から夕方まできちんと働いていらっしゃいますから、
苦にはなりません」と屈託のない笑顔で答える。

店は樋口さんの母で取締役のさゆりさんを始め、女性が目立ったが、
榊原さんの担当は力仕事だけではなく、接客から仕込みまでこなす。
お客さんの目の前でいけすから取り出した伊勢海老を、
ピチピチとした活きの良いままに出すのがお店のこだわりだ。

★「イップス」で白球を置き…描いた新生活

当初は伊勢海老を8分以上かかってさばいていたという榊原さんも、
今ではさゆりさんの指導もあって4分程度で仕上げることができるようになった。
来店した外国人相手には片言の英語と身振り手振りで対応する。
さゆりさんが「コミュニケーション能力も高いですね。店が混んでくれば
料理も運んでくれます」と言うように現役時代同様、
何事にも一生懸命に取り組んでいるようだ。

さゆりさんの心配事は、仕事を抱え過ぎることで
「なんでも『僕がやります』と言ってくれます。こちらがそんなに引き受けなくても
いいよ、と心配して声を掛けるほどです」と話す。
もちろん、失敗もあった。ブースに持って行く仕込みの終わった炊飯ジャーを
車に積み忘れたり、販売直前にお箸がないことに気付いたこともあった。
それでも、持ち前の明るさで対応している。

店頭に立つ目的は、もう1つあった。
2度の戦力外通告を受けた後、球団関係者やファンに十分な説明ができないまま
球界を去ったことのお詫びがしたかった。
12球団合同トライアウトを不合格になった後、担当スカウトだった牧田勝吾副部長らの紹介で
社会人野球チームの採用が決まったものの、契約直前に断ってしまった。
「イップス」や体調不良でボールが握れなくなってしまっていたことが理由だった。
キャンプ中盤に牧田氏がブースに訪れてくれたことで再会は果たせたが、
接客に忙しく十分な〝謝罪〟をすることはできなかったことは無念だったという。

ブースに足を運んだ山崎は「進む道は確かに変わってしまいましたが、
野球をやっている期間なんて人生の半分もあるかないかなんですよね。
これから先の方が長いので、野球をしていたというのは
(今の彼にとって)凄い財産になります。僕らは野球しか知りませんから。
今後の人生を考えたら凄くデカいことだと思います。
お互いに頑張って、時には食事や飲みに行ったりできる仲を続けていきたいと
思っています」とエールを送る。

榊原さんは、宮崎にしばらく居るつもりだ。
現役時代のキャンプ休日に訪問した宮崎市内の特別支援学校を再訪するなど、
ボランティアとしての活動も視野に入れる。
そんな考えを伝え聞いた牧田さんは「元プロ野球選手だからこそ、
みなさんを笑顔にすることもできます。
飲食店での仕事も、選手のセカンドキャリアとして選択肢が広がることで、
素晴らしいと思います」と微笑ましく見守る。
現役引退当時のいきさつについて「彼の人生の方が大事ですから、
まったく問題はありません」と明るく語る。

榊原さんの務める店は2021年9月、台風14号による豪雨災害で、
道路と線路を挟んだ山の斜面が崩落して大きな被害を受けた。
店内にいたさゆりさんは、山から「ミシミシ」という音や焦げ臭さなどの
異常を感じた義姉に促され、土砂に襲われる直前に車で避難したが、
店の設備や魚介類は大きな被害を受け2023年3月まで休業を余儀なくされた。
店を再開して2か月後にやって来たのが榊原さん。ともに新たなスタートは始まったばかりだ。

2024年2月21日 Full-Count配信
 
榊原翼 37期 現:飲食業
育成→2年連続戦力外「イップスで…」
思うように動かぬ右腕、25歳の“苦渋の決断”


★元オリックスの榊原翼さんが宮崎春季キャンプに2年ぶり“凱旋”

熱いハートを持つ男が、球春到来とともに戻ってきた。
オリックスで2017年から2022年まで投手としてプレーした榊原翼さんが、
宮崎春季キャンプに帰ってきた。
現在は宮崎市内に在住しており、勤務する飲食店がキャンプ地10周年を記念して
グルメブースに出店したことで、2月2日のキャンプインから現地で
接客をすることになった。

ファンにとっても、まさにサプライズだ。
オリックスが宮崎市の清武総合運動公園(SOKKENスタジアム)を
キャンプ地としてから10年が経った。
宮崎市観光協会と榊原さんが勤める「日南水産」がコラボし、
キャンプ地での出店が決定。榊原さんが店頭販売を担当することになった。

キャンプ地に姿を見せるのは、退団した2022年以来、2年ぶり。
榊原さんは「野球を離れた後の、今の自分を見てもらいたいですね。
宮崎も盛り上げたいです」と変わらぬ笑顔を見せる。

榊原さんは千葉県出身。
埼玉・浦和学院高から2016年に育成ドラフト2位でオリックスに入団。
結果を残してプロ2年目の開幕前に支配下選手登録された。
プロ3年目、4月17日の日本ハム戦(京セラドーム)で先発登板し、
育成出身選手として球団初の白星を挙げた。

捕手からの返球をマウンドから降りてガッチリとつかみ取るなど、気迫あふれる投球で
「バラくん」の愛称でファンに親しまれた。2021年オフに戦力外通告を受け、
育成で再契約したが、復活は遂げられず。2022年10月に2年連続2度目の
戦力外通告を受け現役を引退した。
プロ生活6年で通算28試合に登板し、4勝8敗。防御率3.78だった。

2度目の戦力外通告後、12球団合同トライアウトを受けた。
合格はしなかったが、担当スカウトの牧田勝吾編成副部長からの紹介もあり、
社会人野球チーム入りが決まっていた。
しかし、正式契約を結ぶ直前に、急遽、断りの電話を入れた。
「まだまだできる」「野球をしている姿が見たい」という仲間やファンの声に
心は揺れ、申し訳なさが募るばかりだった。

★初めて告白した「イップス」…苦渋の決断で去った野球界

実は、野球ができない状態だったと明かす。
2020年シーズンから突然、制球が定まらなくなった。
荒れ球が持ち味でもあったが、マウンドでボールを離せず真下に何度もたたきつけた。
打撃ゲージの枠にもぶつけてしまう日々だった。「イップスだったんです……」。
現役引退から、およそ1年。2月1日の午後、宮崎市内で初めて打ち明けた。

「紹介していただいた社会人野球は本当に良いお話だったのですが、
ストレスで体調を崩すなど野球ができる状態ではありませんでした。
関係者のみなさんには本当に申し訳なかったのですが、将来のことも考えた時、
それしか選ぶ道はなかったのです」

苦しみ抜いた決断だった。
仲間や関係者に苦しい胸の内を十分に説明できないまま、野球界を去ったのは
今も悔いが残るという。
健康なのに、右腕が思うように動かせず投げることができない。

「みんな、どのようにして普通に投げているんだろうと、ずっと考えていました。
福良(淳一)GMからは『焦らなくてもいいよ』と温かい言葉をいただきました。
仲間からも『自分でそう思い込むな』などと励ましてもらいましたが、
どうしても焦る自分がいました。もう試合で投げることができない。
心は折れまくりました。
答えがありませんから……。苦しかった、本当に苦しかったですね……」

2023年2月から、大阪で清掃のアルバイト勤務をした後、
6月から知人のいる宮崎市に移り住んだ。
「故郷の千葉と同じように海が身近にありますし、キャンプで6年間訪れ、
人情味ある土地柄も好きでした」。
今は、知人の紹介で市内の飲食店で働く。JR日南線、小内海駅近くの店で
接客のかたわら伊勢海老もさばくという。

今回の出店ブースでは2日から29日までの全期間で店頭に立ち、
ほたてバターや伊勢海老の炊き込みご飯、みそ汁など魚介類を販売する。
休めるのは店の定休日と重なる1日だけ。
「チヤホヤされた野球界とは違い、一般の方は1日朝から夕方まで働きます。
僕も仕事の大変さや働く楽しさがわかってきました。
球場で店頭に立つことに恥ずかしさなんてありません。新しい自分を見てほしいですね」。
同期入団は育成5選手を含む14選手。1位の山岡泰輔投手、
2位の黒木優太投手(日本ハム)、4位の山本由伸投手(ドジャース)、
6位山崎颯一郎投手は、今も活躍中だ。

昨年末からはYouTube「バラチャンネル」を開設。
「支配下と育成の待遇の差」や「先発投手の1日ルーティン」など、
プロ野球の裏側などを発信している。
まだ、25歳。マウンドから店頭、そしてYouTuberへ。
生まれ変わった「バラ」をかつてのチームメートやファンに披露する。

2024年2月2日 Full-Count配信
 
榊原翼 37期 現:飲食業
オリックスの宮崎・清武キャンプは10周年
元オリックス投手の榊原翼氏が勤める飲食店も出店予定


オリックスは、今年で宮崎・清武町で春季キャンプを実施して10年目となる。

地元の宮崎市観光協会では特設サイトを開設。キャンプ地の情報などを発信している。

清武のキャンプ地内の「バファローズタウン」では様々な飲食店が軒を連ねているが、
その中で今年は「10周年特別企画ブース」として、元オリックス投手の榊原翼氏が勤める
宮崎市内の飲食店が出店することになった。

出店するのは「日南水産」で、同観光協会の特設ページでは
「バファローズ元選手で宮崎市で飲食業をされている榊原翼氏が
10周年を記念してキャンプを盛り上げるために出店!」と紹介している。

榊原氏は浦和学院から16年育成ドラフト2位でオリックスに入団。
18年に支配下登録され、通算で28試合に登板して4勝8敗、防御率3.78。22年を最後に現役を引退した。

現在は宮崎県在住。昨年12月にYouTube「バラチャンネル」を開設。
その中で現在は「飲食店のアルバイトをしていて。“いらっしゃいませ”って働いてます」と明かしていた。

2024年1月26日 スポーツニッポン掲載

今成亮太 26期 現:野球ジムオーナー
大谷翔平担当の名物スカウト 息子が明かす豪快秘話
「サッカーボール捨てられた」
居酒屋経営は「客と飲んで寝るだけ」


元楽天監督で現役時代は西武、巨人でプレーした野球評論家・大久保博元氏が15日、
自身のYouTubeチャンネルを更新。
元阪神捕手の今成亮太氏をゲストに野球人生を振り返った。

今成氏の父は、元阪神、日本ハムの名物スカウト、今成泰章氏。
父の思い出を振り返った今成氏は「阪神でスカウトをやったあとに少しあいて地元で居酒屋をやった」と明かした。
家族会議で「明日から居酒屋をやる。以上!」と宣言し、母が悲鳴を上げたという。

大久保氏は「居酒屋のオヤジがやれそうな人だった」と明るいキャラクターを振り返ったが、
「それが、お客さんと一緒に飲んで寝るだけだった」と今成氏。
泰章氏の弟が料理人だったため、「(客と)飲んでいるのが俺の仕事だと言っていた」と
豪快なエピソードも披露した。

また、今成氏の幼少期は「Jリーグ全盛期で祖父母がはやりに乗ってサッカーボールを買ってくれた」と、
当時は関心も高まった。
しかし、「家から毎日サッカーボールがなくなる。(なぜなら)オヤジがゴミ箱に捨てている。
それを取りに行く作業から毎日が始まった」と、親子のせめぎ合いの末に兄の影響で野球を始め、プロへの道が開かれた。

泰章氏は、プロ未経験ながら阪神で和田豊、中西清起、桧山進次郎らを発掘し、チーフスカウトも務めた。
その後は日本ハムで、ダルビッシュ有や大谷翔平の担当スカウトとして入団に尽力。
粘り強い交渉力で「マムシの今成」とも称されたが、22年3月に66歳で病気のため亡くなった。

2024年1月16日 デイリースポーツ掲載

坂元弥太郎 21期 現:野球スクール指導者
【ヤクルト】石川雅規「かわいい後輩」坂元弥太郎氏の野球塾参加
10年たっても変わらない関係


池袋駅に着き、東武東上線へ向かった。普段はなかなか利用しない路線。
案内を注視しながら、歩みを進めた。電車に乗り込み、揺られること約30分。みずほ台駅に到着した。
そこからタクシーで約5分。住宅地が見えてきた。時刻は午後5時。年の暮れ。
日もしっかり暮れていた中、目的地の倉庫は明るさに活気が入り交じっていた。

元ヤクルトで日本ハム、横浜(現DeNA)、西武でプレーした坂元弥太郎氏(41)の野球塾
「Yataro Sports Base」の前は、多くの子どもたちでにぎわいを見せていた。

しばらくすると、ゲストも到着した。ヤクルト石川雅規投手(43)は、白い息を吐きながら、急ぎ足で控室へと入った。
都心からは約50キロに位置する、埼玉・入間にある同施設。
石川は「ヤタ、遠いよ」と何度も言いながら、準備を始めた。
野球塾の子どもたち、卒業生たちへ向けた講演会のため、忙しいオフの合間にやって来た。
石川が「ヤタ、50キロは遠い」と言えば、坂元氏は「いや、そんなことはないですよ」と応酬。
大先輩にもグイグイ行く坂元氏と、それをさらりとかわす石川。仲の良さが垣間見えた。
本気で言い合っている訳ではないから、こちらも苦笑いを浮かべるしかなかった。
確かに、地図アプリには「51キロ」と示されていただけに…。

そんなこんなで、講演会はスタート。開始予定の午後6時ともなると、寒さは一段と加速。
底冷えも重なる中、石川と坂元氏は絶妙な掛け合いで、場を暖め続けた。
より多くの子どもたちの質問に答え、何度も「体の大きさは関係ない」と公称167センチの球界最年長は訴えた。
「毎日何かをやり続けることが大事」とも加えた。手がかじかむ中、子どもたちは必死にノートにペンを走らせ続けた。
石川の話を取りこぼさないよう、真剣に聞き入っていた。気付けば、1時間以上が経過。大盛況のうちに終わった。

帰り際、石川は坂元氏がいないところで「ヤタはかわいい後輩だからさ」とだけ言った。その言葉だけで十分だった。
忙しいオフの中、このオファーを受けた理由が分かった。坂元氏は31歳だった13年にプロ野球を引退。
あれから10年以上が経過した。今月に44歳となる石川は、今も現役として先発のマウンドに立つ。
時を経て2人の立場は変わった。坂元氏は未来のプロ野球選手を育て、石川は今やチームの顔として君臨する。
もう2人でプレーすることはかなわないのかもしれない。それでも、変わらない関係性があった。
温かい気持ちになって、帰り道についた。

2024年1月14日 日刊スポーツ掲載

榊原翼 37期
カラオケで飲み過ぎて支払いが… 
オリックス同期が語る山本由伸の素顔
「柔らかく包んでくれる。本当に25歳なのって感じ」


元オリックスの榊原翼さんが自身の公式YouTubeを更新。
同期入団の山本由伸との思い出を語る動画を投稿した。

浦和学院高校から2016年育成ドラフト2位で入団した榊原さんは、
同学年の山本や山崎颯一郎とファームで雑用係などを行っていたことを思い返したが、
「由伸は1年目からヤバかった。いきなり157キロとか出してきて」と驚いたことを明かした。

2年目には開幕1軍入りを果たした榊原さん。
山本は登録されておらず「マウント取れるのはそこくらいですね」と笑顔を見せた。

プライベートでも仲の良かった2人は遠征先でカウンターだけの鮨屋を訪れ、食べ過ぎたことがあったという。
店員から支払いを心配されながらも割り勘で無事支払いを行ったことを明かしている。

また、山本と山本の友人でカラオケ店に行った際にも飲み過ぎて会計が4万円近くになったことがあり、
店員から支払いを心配されたこともあったと苦笑いした。

山本は常に心配してくれていたと語った榊原さん。
「柔らかく包んでくれる。『大丈夫か』『家来いよ』とか。本当に25歳なのって感じ」と
同学年の右腕を賞賛している。

この投稿にファンからは「この世代地味にヤバいんよな」「人柄が垣間見れたよう」
「2016年のドラフトは今見てもメンツエグいし凄いな~!」などの声が上がっている。

2024年1月5日 西スポWEB OTTO!配信


榊原翼 YouTube
https://youtu.be/WnFlR8HKzRk?si=sIAeR3qHwLskewLo
 2023年

天に旅立ったエースと「一緒にやりたかった」
元西武戦士が掲げたユニ…捧げる全国V


★浦和学院OBが「マスターズ甲子園2023」日本一決定戦の頂点に

今年7月24日、浦和学院のコーチ・三浦貴氏(元巨人、西武)が永遠の眠りについた。
高校では同校のエースとして1996年春夏連続甲子園出場の原動力となり、プロでは投手から野手に転向。
TBS系列の人気番組「スポーツマンNo.1決定戦」で総合1位に輝くなど、野球の枠を超えた活躍を見せた。
しかし、強靭な体を持っててもがんにはかなわず。45歳の若さだった。
12日に甲子園球場で行われた「マスターズ甲子園2023」で“全国制覇”を果たした
同校OBの石井義人氏(元横浜、西武、巨人)の手には、亡き同級生のユニホームが握られていた。

大会事務局から20回目の大会開催にあたって「全国高校野球OBトーナメント」と
東西代表チームによる「日本一決定戦」の実施が発表されると、
石井氏は再び三浦氏と一緒に甲子園に立つ“青写真”を描いた。だが、早すぎる別れを迎えた。

石井氏は「(高校で)一緒に甲子園に行けたことも、プロでも同じチーム(西武)でやれたことも、
マスターズでまた貴とプレーできたことも、全部いい思い出です」と振り返った。
同校OBチームには、三浦氏が同校のコーチに就任した2013年以降の教え子も
多数在籍している。それぞれが抱く三浦氏への想いが結束力を強くした。

追悼試合として臨んだ日本一決定戦では、石井氏は途中から
「4番・DH」で出場。西日本代表・今治北に9-6で逆転勝利し、
全国高校野球OBクラブ連合に加盟している630校の頂点に輝いた。

★高校卒業から27年…母校のユニホームでの優勝に「幸せしか言えないっす」

表彰式の間、石井氏はチームメートの手を借りながら三浦氏が使っていたユニホームを着たり、
まるでおんぶをするように両袖を肩にまとわせたり、何度もユニホームに目を落とし、微笑んでいた。
「予選の時からずっとベンチにありました」。栄冠へ向けて共に戦っていたことを明かした。

「浦和学院のユニホームで日本一になったことがなくて。(同校OBチームに)貴がいて、
同期の佐藤(秀樹氏)もいてね。今まで何回もマスターズに参加してきて、
優勝できてうれしいですし、幸せです。幸せしか言えないっす」。
高校野球を引退してから27年後、母校のユニホームで成し遂げた全国制覇に目を細めた。

だが、一方で寂しさも募る。「やっぱりもう一度ここで、一緒にやりたかったです」と小さくこぼした。
「もう少し落ち着いたら、貴のお墓に(優勝を)報告できたらと思います。
ホームランを打てなかったのは残念ですけどね。今後また何かあればと、次にとっておきます」。
すでに10月から始まっている埼玉大会も、亡き友との日々を思い返しながら、打席に立つつもりだ。

2023年11月16日 Full-Count配信
  
マスターズ甲子園の日本一決定戦で浦和学院が勝利
今年他界した三浦貴さん(元巨人)に栄冠を届ける


◇第20回記念大会 マスターズ甲子園2023(2023年11月12日 甲子園)

元高校球児の夢の実現を目指す大人の甲子園大会「マスターズ甲子園2023」は、
2日間の日程で地方予選を勝ち抜いた14チームと、OB日本一を決める東西代表
6チームの計20校、939選手が参加した。
12日は20回記念として全国高校野球OBトーナメントの日本一決定戦が行われ、
東日本1位の浦和学院(埼玉)が西日本1位の今治北(愛媛)に逆転勝利し、日本一に輝いた。

今年7月に元巨人で母校のコーチを務めていた三浦貴さんががんのために45歳で死去。
「三浦の魂と一緒に甲子園へ」とOBが結束。東日本1位で日本一決定戦に進出し、
初回に3点を先制されたが、2回に伝統の全員野球で攻撃をつなぎ逆転した。
13年春選抜の優勝監督で春夏甲子園21回出場の森士(おさむ)前監督も投手としてベンチ入り。
横浜、西武、巨人でプレーした石井義人も勝利に貢献し
「浦学のユニホームで日本一になれたのは最高です」と歓喜の輪に加わった。

2023年11月12日 スポーツニッポン ネット配信


浦和学院 マスターズ甲子園で逆転V!
森士前監督 天国の三浦貴さんに「いい報告ができる」


「マスターズ甲子園」は12日、第20回記念大会として10年ぶりに
「OBチームの日本一決定戦」を甲子園で開催し、東日本1位の浦和学院(埼玉)が
西日本1位の今治北(愛媛)に9-6で逆転勝利した。

7月に元巨人で母校のコーチを務めていた三浦貴さんががんのために45歳で死去。
「三浦の魂と一緒に日本一に」とOBが結束した。
13年春選抜で優勝に導いた森士(おさむ)前監督も三浦さんの巨人時代の背番号39で先発。
「天国にもいい報告ができる。選抜優勝とはまた違った喜び」と歓喜の輪に加わった。

2023年11月13日 スポーツニッポン掲載

第20回マスターズ甲子園記念OB日本一決定戦

11月12日
浦和学院OB(東日本1位)9-6今治北OB(西日本1位)

今治北OB


浦和学院OB


【浦】森士、前野、遠藤、仲村、一條、岩田
▼二塁打 赤岩 光山(浦)

※配信を観つつ記録を取ったため、抜けている選手がいる場合もあります
ご了承ください

浦和学院高校野球部OB
OB日本一!!!!
 
元高校球児の夢を実現、マスターズ甲子園が開幕
全国20校のOBである939選手が集結


元高校球児の夢の実現を目指す大人の甲子園大会「マスターズ甲子園2023」が11日、開幕した。
2日間の日程で地方予選を勝ち抜いた14チームと、OB日本一を決める東西代表6チームの計20校、939選手が参加した。

伊丹北(兵庫)は現役、OBも含めて甲子園初出場。
室蘭大谷(北海道)、金足農(秋田)、前橋育英(群馬)、日大二(東京)、日大藤沢(神奈川)、
田辺(和歌山)、追手前(高知)、九産大九州(福岡)、興南(沖縄)はマスターズ甲子園初出場だった。

参加選手の最高齢は田辺の岩本英樹で86歳。
プロ野球OBでは函館大有斗・佐藤義則(元阪急)、伊丹北・田中総司(元ダイエー)、
国府・市川和正(元大洋)、浦和学院・石井義人(元西武)が出場した。

2023年11月11日 スポーツニッポン ネット配信
 
木塚敦志 16期 現:横浜DeNA
【DeNA】元楽天コーチ佐竹学氏アナリスト就任へ
木塚敦志氏、永池恭男氏、藤田和男氏スカウトへ


今季まで楽天で1軍野手総合兼外野守備走塁コーチを務めた佐竹学氏(49)が、
DeNAのアナリストに就任する見込みであることが9日、分かった。
佐竹氏はオリックス、楽天でプレー。引退後は両球団でコーチを務めた。
また、今季までチーフ投手コーチを務めた斎藤隆氏(53)は本部長付アドバイザーに就任。
1軍投手コーチを務めた木塚敦志氏(46)、2軍内野守備走塁コーチを務めた永池恭男氏(50)、
育成野手コーチ藤田和男氏(43)がスカウトに就任し、現場目線で選手を発掘する。

2023年11月10日 日刊スポーツ掲載
 
木塚敦志 16期 現:横浜DeNA
DeNA、ハマスタ45周年記念試合を開催
球団OBらが松坂氏擁する“神奈川レジェンド”と対戦


木塚敦志氏も出場予定!


★12月3日に「YOKOHAMA STADIUM 45th DREAM MATCH」を開催

DeNAは6日、12月3日に横浜スタジアム竣工45周年を記念したスペシャルイベント
「YOKOHAMA STADIUM 45th DREAM MATCH」を開催することを発表した。
球団OBと現役選手で構成される「BAY DREAM STARS」と、
松坂大輔氏ら横浜高や東海大相模高など県内の高校出身選手が集結する
チーム「Y45 LEGEND HEROES」がドリームマッチを実施する。

今イベントは1978年4月に大洋(現DeNA)と巨人が開幕戦を行ってから45周年を迎えた
横浜スタジアムの記念イベントとして開催される。
「BAY DREAM STARS」には、三浦大輔氏(現監督)をはじめ、斎藤隆氏、鈴木尚典氏らの
球団レジェンドのほか、山崎康晃、今永昇太、東克樹の現役3投手も参加する。

対する「Y45 LEGEND HEROES」は、松坂大輔氏のほか、多村仁氏、小池正晃氏ら横浜高OB、
東海大相模高出身の森野将彦氏らが参戦。
横浜創学館高出身の広島・秋山翔吾外野手も参加予定となっている。

2023年11月6日 Full-Count配信

★出場予定選手
【BAY DREAM STARS】 【Y45 LEGEND HEROES】
氏名  在籍年(現役時代)
野村 弘樹 1988~2002年
齋藤  隆 1992~2005年
石井 琢朗 1989~2008年
鈴木 尚典 1991~2008年
三浦 大輔 1992~2016年
相川 亮二 1999~2008年
木塚 敦志 2000~2010年
久保 裕也 2016年
大西 宏明 2008~2010年
古木 克明 1999~2007年
村田 修一 2003~2011年
吉村 裕基 2003~2011年
高崎健太郎 2007~2017年
山口  俊 2006~2016年
山﨑 康晃 2015~現役
今永 昇太 2016~現役
東  克樹 2018~現役
氏名    出身校
多村 仁志 横浜高校
森野 将彦 東海大相模高校
阿部 真宏 横浜高校
松坂 大輔 横浜高校
小池 正晃 横浜高校
後藤 武敏 横浜高校
長田秀一郎 鎌倉学園高校
内藤 雄太 横浜商工高校
山口 鉄也 横浜商高校
成瀬 善久 横浜高校
内  竜也 川崎工高校
加藤 幹典 川和高校
荒波  翔 横浜高校
黒羽根利規 日大藤沢高校
福田 永将 横浜高校
下水流 昂 横浜高校
秋山 翔吾 横浜創学館高校
倉本 寿彦 横浜高校

2023年マスターズ甲子園第17回埼玉県大会

決勝
11月26日
浦和学院OB10-11市立浦和OB

浦和学院OB 10
市立浦和OB 11
【浦学】前野、関根一、一條、井上洋、岩田、蛭間-山本、伊藤信
【市浦】伊東宏、岡村、山田、羽有、喜多野、木下-金田、泉名
▼三塁打 前野(浦学)
▼二塁打 飯島 田爪 林 伊藤信(浦学)成田 福島(市浦)

準決勝
11月25日
浦和学院OB7-2松山OB

浦和学院OB
松山OB
【浦】川島、前野、仲村友、伊藤信、関根一-伊藤信、藤原
【松】真下、山形、金井、北原、竹森、山本正-久保田、石倉、久保田
▼二塁打 武藤(浦)五十嵐(松)
 
準々決勝
11月18日
浦和学院OB7-4春日部東OB

浦和学院OB
春日部東OB
【浦】川島、前野、一条、関根、岩田ー武藤、武藤
【春】千葉、鈴木、齋藤一、谿、山重ー佐藤宏、宇野
▼三塁打 武藤(浦)
▼二塁打 田爪(浦)大和 谿 宇野(春)

2回戦
11月4日
浦和学院OB11-7聖望学園OB

浦和学院OB 11
聖望学園OB
【浦】前野、関根一、仲村、梶原、岩田ー伊藤、藤原、伊藤
【聖】鈴木、山崎、澤江、大原、小高、五味、秋元ー西村、大野
▼本塁打 松本(聖)
▼三塁打 三金(聖)
▼二塁打 秋山 伊藤(浦) 高久(聖)

1回戦
10月21日
浦和学院OB14-11大宮北OB

浦和学院OB 14
大宮北OB 11
【浦】川島、鈴木康、仲村、松本、関根英、関根一、一条、岩田-伊藤信、藤原
【大】滝澤、坂入、相川幸、片山、永田、朝日-津原、柳
▼三塁打 前野(浦) 朝日(大)
▼二塁打 菅原 栗原 石井義 内田(浦)

今成亮太 26期 現:野球ジムオーナー
元阪神・今成亮太氏が松竹芸能所属に
MC、俳優に挑戦も 元プロ野球選手の「枠を超えた」存在に


元日本ハム、阪神の今成亮太氏(36)が19日、ABCラジオ「ますだおかだ増田のラジオハンター」に
生出演し、番組内で10月から松竹芸能所属となることを発表した。

2018年の現役引退後は野球評論家、タレント、実業家として活動。
これまではスポーツマネジメント会社に業務委託してきたが
「テレビなどメディアの仕事をしていく中で、もっと自分の幅を広げたい」と、
さらなるステップアップを見据えて、老舗芸能事務所の門を叩く決断をしたという。

現役時代も軽快なトークや、ディープな野球選手ものまねでファンを楽しませてきた今成氏。
番組出演後には取材に応じ「人と同じことはやりたくない。今までの野球選手がやってきた枠を
超えていきたい」と、今後への意気込みを語った。

バラエティー、MC、俳優業など枠にとらわれない活動を目指す。
同じく元阪神の鳥谷敬氏が15日のTBS系ドラマ「下剋上球児」で俳優デビューしたことを
「マジで先を越されました」と悔しがり、「チャンスをいただけるならチャレンジしたい」と、
様々なジャンルへ挑戦していく覚悟だ。

現役時代、投手以外の全ポジションをこなすと言われたユーティリティープレイヤー。
「野球はユーティリーティー、これからの人生もユーティリティーで頑張りたい。
これ、かっこいいこと言いましたよ」と、笑顔で決意を固めた。

2023年10月19日 デイリースポーツ ネット配信

マスターズ甲子園2023
全国高校野球OBトーナメント 東日本大会(順位決定戦)


8月27日
浦和学院OB(関東代表)8-5国府OB(北信越・東海代表)

浦和学院

国府


第3試合
浦和学院OB11-1北海道大谷室蘭OB(北海道・東北代表)

浦和学院


11 14
大谷室蘭



浦和学院OB 東日本第1位

原田健輔 24期 現:共栄学園高校野球部監督
春夏通じ初出場の共栄学園、笑顔で散る
原田監督「ここまで連れてきてくれてありがとう」


◆第105回全国高校野球選手権記念大会第1日
▽1回戦 聖光学院9―3共栄学園(6日・甲子園) 

笑顔を貫けた。だから後悔はない。
春夏通じて初出場となった共栄学園の主将・横田優生は、爽やかな表情で言った。
「甲子園でも自分たちがやりたい野球ができました」。
0―7から7回、3点を返して意地を見せた。見せ場は作った。

昨秋は東京大会ブロック予選で堀越の前に初戦敗退。
原田健輔監督(37)は「絶対勝つぞ!とめちゃくちゃ勝ちに行ったんです」と振り返る。
ナインは硬くなり、実力を発揮できなかった。「だから真逆でいこうと」。
この日の試合前にも「相手は野球を極めてくるチーム。ウチは楽しく勝敗にこだわらないチーム。
両校で見ている人たちに、何かを与えられたらいいね」と送り出した。

ナインは江戸川の河川敷で練習を積んできた。
「専用グラウンドもない厳しい環境の中、ここまで連れてきてくれてありがとうという気持ちです」と指揮官。
白星は遠かったが、下町っ子たちの奮闘に聖地が沸いた。
甲子園、どんな場所でした? そんな問いに原田監督はこう答えた。「温かい場所でした」

2023年8月7日 スポーツ報知掲載

 デーブ大久保氏に西武時代「同じ立場っすね」と
軽口を叩いた3歳下の浦和学院出身ドラ1野手は…


浦和学院の監督を退任した森士氏(59)が、大久保博元氏(56)のYouTube「デーブ大久保チャンネル」に出演。
「何億積まれても浦学には行かない」と言われた指導の原点を明かした。

上尾高校では野本喜一郎監督、東洋大では高橋昭雄監督と、
重鎮となる指導者の下でプレーした森氏。自然とチーム作りの手法も引き継ぐことになった。

森氏は「陰の世界で何と言われていたか…」と、「何億積まれても浦学には行かない」という評判に苦笑い。

大久保氏は「(陰じゃなく)おおっぴらに言われてましたよ」と森氏を笑わせた。

一方で浦和学院は清水隆行、木塚淳志、大竹寛、小島和哉、蛭間拓哉ら
多くのプロ野球選手を輩出してきた。

その中で、大久保氏が気になる選手が一人。1987年西武ドラフト1位入団の鈴木健氏だ。

「入団してきて、僕の方が3つ4つ上なのに“デーブさん、所沢まで送ってってよ”と
言って来たんですよ」と驚きの緩さを明かした。

1軍キャンプのミーティングでもコーチに「安心してたらすぐ入れ替えるぞ」と
2人とも名指しで注意を受けると、「同じ立場っすね」と大久保氏の肩を叩いてきたという。

森氏は「浦学からプロに入った彼が1期生。プロの世界で評判を作ってしまった」と申し訳なさそうにしていた。

2023年8月3日 スポーツニッポン ネット配信

原田健輔 24期 現:共栄学園高校野球部監督
甲子園初出場の共栄学園が壮行会
横田優生主将「感謝の気持ちをプレーに」


今夏の甲子園に春夏通じて初出場を決めた東東京代表・共栄学園が2日、葛飾区の同校で壮行会を開催した。
夏休み中にも関わらず、約300人の一般生徒が出席。壇上の野球部員に温かい拍手を送った。

横田優生主将(3年)は「応援に来てくれた生徒の皆さんの協力があって、
この場に立てていると思います」と頭を下げ、
「甲子園ではこの感謝の気持ちを形としてプレーとして表していきたいと思います」と意気込んだ。

原田健輔監督(37)は「春の大会から勝ち負けにこだわらず、見てくれている人たちに
勇気、元気、感動など何でも良いから与えられるような野球をやろうとやってきた。
甲子園に行ってもその目標を変えずにやっていきたい」と決意表明した。
優勝後は数え切れないほどの連絡をもらい、浦和学院高時代の恩師・森士氏(59)からは
甲子園で戦う上でのアドバイスを受けたという。

準決勝と決勝では9回2死からの逆転ミラクル勝利を収め、聖地への切符をつかんだ。
初めての甲子園でも見ている人をワクワクさせるような戦いに期待がかかる。

2023年8月2日 スポーツ報知 ネット配信

原田健輔 24期 現:共栄学園高校野球部監督
共栄学園、大会前は花咲徳栄に25失点大敗もミラクル初V
監督は浦和学院で控え投手の元信金マン


◆第105回全国高校野球選手権記念東東京大会
▼決勝 共栄学園12―6東亜学園(30日・神宮)

東東京の決勝では共栄学園が東亜学園に逆転勝ち。春夏通じて初の甲子園出場を決めた。
1点を追う9回2死一、二塁、途中出場の背番号18・打野琉生(うちの・るい)外野手(3年)の
意表を突くセーフティーバントが三塁手の悪送球を誘い同点とすると、重盗で勝ち越し。
打者12人の猛攻で7点を挙げ、準決勝の逆転サヨナラに次ぐ劇勝を収めた。これで全49代表校が決定。
夏の甲子園大会は8月3日に組み合わせ抽選会が行われ、6日に開幕する。

涙はなかった。
共栄学園・原田健輔監督(37)は参加129チームの頂点をつかんだナインを頼もしげに見つめた。
「準決勝、決勝と、こんなに大逆転劇が2度も続くのかと…。
本当に素晴らしい選手たちに巡り合えました」。
東東京の王者に輝いたのは“エンジョイ野球”を貫く下町っ子だった。

浦和学院では日本ハム、巨人でプレーした左腕・須永英輝氏と同期。
3年時のセンバツはベンチ外で、最後の夏は背番号19の控え投手。
埼玉大会準決勝で夢破れた。共栄大を卒業後は信用金庫に就職。
業界をリーマンショックが襲う中、心に眠る野球熱が抑えられなくなった。
大学時代の恩師に相談し、12年に系列となる共栄学園の監督に就任した。

当時の野球部は夏未勝利。
浦学で学んだ「日々の積み重ねの大切さ」をモットーに粘り強く指導した。
今でも寮はなく全て地元の選手。
「下町の気質というか、細かいことを植え付けるのは難しい。
野球のミスは怒りません。要所は締めて、好きなようにやらせてあげようと」。
だからこの日、ピンチでもみんな笑っていた。

5月下旬の練習試合は花咲徳栄に25失点で大敗。
そんな雑草軍団が大仕事を成し遂げた。
この夏、高校時代にたどり着けなかった甲子園のベンチで采配を振るう。
笑顔の似合う教え子たちとともに。

2023年7月31日 スポーツ報知掲載

原田健輔 24期 現:共栄学園高校野球部監督
夏未勝利の弱小校率いて12年目
共栄学園・原田監督「楽しくやる」
モットーに初甲子園/東東京


勝利を決めた共栄学園・原田健輔監督(37)の目に涙はなかった。
「本当に甲子園に行けるのか。まだ実感が湧かないです」。

12年から監督に就任。当時は夏の大会で1勝もしていないチームを、12年目で史上初の甲子園出場に導いた。
「楽しくやる」ことを意識し、野球でのミスは怒らないよう心がけている。
「自分でも緩いと思うが、なるべく大会で力を発揮させてあげたいので、
あまり厳しいことを言わないようにしています」。

浦和学院OBで「最後の夏だけは背番号もらえました。19番で」。
当時指導を受けた森士前監督(59)から
「努力家で、ずっと真面目にやっていたのでベンチ入りさせた」と評される。

高校3年間で日々の積み重ねの大切さを学んだから、今がある。
一足先に甲子園を決めた母校については
「素直におめでとうと思う。ただ向こうは強いんで、当たりたくはないですね」と苦笑した。

2023年7月30日 日刊スポーツ ネット配信
 
安保隆示 9期 現:城西大城西高校監督
【東東京】城西44年ぶり決勝ならず
浦和学院で部長務めた安保隆示監督は甲子園アベック出場ならず


◆第105回全国高校野球選手権東東京大会▽準決勝 東亜学園10-4城西(28日・神宮球場)

城西は0-0の4回4連続四死球による押し出しで先取点を奪ったが、
5回に逆転を許すと7回までに7失点。
7回に梶幸太郎内野手(3年)の左中間適時二塁打などで3点を返すも、
8回に再び3失点し万事休した。

1979年以来44年ぶりの決勝進出はならかった。
1-1に追いつかれた5回2死一、二塁、2番手としてマウンドに上がった
馬場力也投手(3年)が初球を右越え2点三塁打されてしまう。
「初球、甘いコースではない球を打たれて、しかもこれまでほとんどなかった長打。
そこから立て直せなかった」。自信を持って投げ込んだ外角いっぱいのボールを
はじき返されたことで相手の勢いに飲み込まれた。

先発の左腕・溝口博斗(3年)とのWエースで勝ち進んできたが、この日は2人で計14安打を浴び10失点。
安保隆示監督(53)は「練習試合含めて2人が4点以上取られることはないので焦ってしまった。
勝たせてあげられなくて申し訳ない」と唇をかんだ。

この日、埼玉大会で優勝した浦和学院で24年間部長やコーチを務めた指揮官は
「一緒に甲子園に行けるかもと思ってしまった自分がいた。
一戦必勝なのにそれがいけなかったのかもしれない」。
ともに指導した元巨人の三浦貴さんが24日、病気のため45歳で亡くなり、
浦和学院時代の名刺をしのばせ、弔いの甲子園出場を目指したがかなわなかった。

それでも1985年以来38年ぶりの準決勝進出。
馬場は「一戦一戦と思ってやってきた結果。素直にうれしい」と胸を張る。
この夏、ノーシードから勝ち進んだ足跡は決して色あせることはない。

2023年7月28日 スポーツ報知 ネット配信
 
安保隆示 9期 現:城西大城西高校監督
城西ベスト4進出 安保監督は故・三浦貴さんの名刺を忍ばせる
甲子園へ「1戦ずつ」/東東京


<高校野球東東京大会:城西9-2実践学園>◇26日◇準々決勝◇神宮球場

城西(東東京)が、8回コールドで準決勝進出を決めた。
4強入りは、85年以来38年ぶり。初回から点数を積み重ね、8回裏に2点を奪ってコールドを決めた。
試合終了後、喜ぶ選手たちを集めて安保■(■は隆の生の上に一)示監督(53)は
「次は東亜学園だぞ。切り替えよう」と声をかけ、選手たちの表情が引き締まった。

先発の溝口博斗投手(3年)が2回1/3を5安打1失点と本調子ではなく、
3回途中から背番号1の馬場力斗投手(3年)がマウンドへ。
持ち味の制球力で5回2/3を4安打1失点にまとめて流れを引き寄せた。
馬場は「今日は40点くらい。思ったところにいかないボールがあった」と反省。
準決勝に向けては「今日は打線に助けてもらった。
ダブルエースの溝口と2人で助け合っていきたい」と話した。

試合後、安保監督は自身のスマホケースから1枚の名刺を取り出した。
24日に亡くなった、浦和学院(埼玉)三浦貴コーチの名刺。
浦和学院で24年間、指導者をしていた際にともに戦った仲間だ。
24日の夕方、さいたま市内の自宅で最期の対面を果たしたという。
その際、同校の森士前監督(59)とも一緒になり「ここまできたら(甲子園に)行けよ」と激励を受けた。
「まずは次、東亜学園とどう戦うか。1戦ずつです」と話した。

2023年7月26日 日刊スポーツ ネット配信

安保隆示 9期 現:城西大城西高校監督
城西大城西が逆転8強
浦和学院で部長やコーチ歴任安保監督
注入の森士イズムで頂点へ/東東京


城西大城西が、逆転勝ちで8強入りを決めた。
1点を追う6回に、スクイズで同点に追いつき、7回に一挙3点を奪って勝ち越した。
先発の溝口博斗投手(3年)が4回2/3を被安打4の1失点。
背番号1の馬場力也投手(3年)が4回1/3を被安打1の無失点と試合をつくった。

今夏から就任した安保隆示監督(53)は「先のことは考えずに、一戦必勝できた。
(この先も)一喜一憂しないで、やるべきことをやりたい」と話した。

1-1で迎えた7回無死満塁で、打席には宮川虎大(とらまさ)内野手(3年)。
初球の直球をとらえ、左中間へ走者一掃の適時二塁打。
ベンチは大盛り上がりだったが、ガッツポーズは控えめで
「ホッとしました。まだ試合中だったので」と振り返った。

高校入学当時は捕手。打力を買われ、3年春から外野手と一塁手の練習も始めた。
背番号は9ながら、堀越戦は一塁手で先発。ファーストミットはチームメートからの借り物だ。
第4シードを倒しての8強入りに「チームがまとまって戦えている。
次もチームプレーで、全員で頑張ります」と話した。

安保監督の信念は「切り替えること」と「楽しむこと」だ。
浦和学院(埼玉)で森士前監督と24年間タッグを組み、部長やコーチを歴任した。
「森前監督の『よくても悪くても切り替えよう。真剣勝負を楽しもう』という教えが自分の中にある。
それはよく言っているので、選手にも浸透しています」と言う。
城西大城西に赴任して4年が過ぎ「一緒にやろうと声をかけた選手たちは、仲間や同士」。
信頼する選手たちと、一戦必勝で79年以来の頂点を目指す。

2023年7月22日 日刊スポーツ ネット配信

マスターズ甲子園第20回記念
全国高校野球トーナメント関東ブロック大会
兼第13回マスターズ甲子園関東大会

江戸川区球場

1回戦
5月14日
浦和学院OB15-5相洋OB
7回コールド


浦和学院OB

15
相洋OB



決勝
5月14日
浦和学院OB11-2日大二OB


浦和学院OB
11
日大二OB

浦和学院高校野球部OB 優勝!
東日本大会出場決定!(8月開催)
 
【浦和学院OB・埼玉】
スローガン:何事にも感謝!


今回は浦和学院OBの3期から38期までの幅広い世代が参加しております。
年齢関係なく同じ伝統の『URAGAKUユニホーム』に袖を通し戦います。
浦和学院伝統の全員野球・超攻撃! 全力プレーで暴れまわります。

2023年5月10日 マスターズ甲子園公式サイトより転載
2022年度
  
MASTERS BASEBALL IN KOSHIEN 2022
阪神甲子園球場
11月19・20日 予備日12月8日

浦和学院野球部OBチーム、出場!!

11月19日 大会第1日目

埼玉代表(浦和学院OB)8ー9鹿児島代表(鹿児島商業OB)

浦和学院OB
鹿児島商業OB
【浦】川島、森、酒井、仲村、岩田、木村、関根(一)、関根(英)、鈴木(哲)、梶原-阿部、吉田、伊藤(信)、渡辺
※バッテリーに関してはアナウンスが一部なかったので不正確な部分もあると思います
▼本塁打 木佐木(鹿)
▼三塁打 光山 栗原(浦)
▼二塁打 井上洋 有川(浦)川崎成x2 上四元(鹿)

2022マスターズ甲子園 第16回埼玉県大会
 
▼決勝
11月27日
県営大宮 12:00

浦和学院OB
-春日部東OB 
  
▼準決勝
11月26日
浦和学院OB12-3大宮工業OB

浦和学院OB 12
大宮工業OB
【浦】川島、阿部、仲村友、前野、岩田-阿部、伊藤信
【大】大畑、五十嵐、青池、田中良、増田、小日向-佐藤俊
▼二塁打 日高(浦)日根野 田島(大)

▼準々決勝
11月12日
浦和学院OB19-1春日部OB

浦和学院OB 19
春日部OB
【浦】川島、鈴木(康哲)、仲村、梶原、前野、木村、関根、岩田-阿部、伊藤(信)、吉田
【春】岩崎、森、村田、岡、中村-清水(茂)、菊池、鳥海
▼本塁打 阿部(浦)
▼三塁打 川島(浦)
▼二塁打 内田 武藤x2 佐藤(浦)

2回戦
11月5日
浦和学院OB20-8聖望学園OB

浦和学院OB 20
聖望学園OB
【浦】前野、鈴木(康)、仲村、一条、関根(一)、関根(英)、梶原、酒井、岩田ー伊藤 小川 吉田 藤原
【聖】大野(直)、田島、大原、松本、澤江、五味ー薄衣、大野(直)、大野(純)
▼本塁打 田爪3ラン(浦)
▼三塁打 赤岩(浦)
▼二塁打 菅原 武藤(浦)中島 松本 成本(聖)

▼1回戦
10月8日
浦和学院OB22-3武南OB

浦和学院OB 22
武南OB
【浦】前野、梶原、仲村、関根(英)、伊藤(信)、木村(良)、田爪、岩田-山本、藤原、伊藤(信)
▼三塁打 内田(浦学)
▼二塁打 井上(洋) 佐藤 飯島 栗原 片山(浦学)
近藤(武南)
2021年度

MASTERS BASEBALL IN KOSHIEN 2022

浦和学院野球部OBチーム、出場権獲得!!

大会詳細は分かり次第お伝えしますが、対戦のみ

第1日目

第1試合
埼玉代表(浦和学院OB)ー鹿児島代表

MASTERS BASEBALL IN KOSHIEN 2021
第15回マスターズ甲子園 埼玉大会(2021)

▼決勝
11月28日
浦和学院OB17-6松山OB

松山OB
浦和学院OB 17
【浦】川島、阿部、仲村(友)、前野、梶原、鈴木哲、岩田-山本、藤原、小川
【松】今村、竹森(良)、北原、岡本-中島、鶴見、中島、鶴見
▼三塁打 相蘇(松)佐藤(浦)
▼二塁打 服部x2(松)川島(浦)

浦和学院高校野球部OB 2大会連続優勝

▼準決勝
11月27日
浦和学院OB24-5大宮工業OB

浦和学院OB 24
大宮工業OB
【浦】川島、阿部、中村(友)、梶原、三浦、鈴木(哲)-阿部、小川、藤原、小川
【大】大畑、五十嵐、青池、田中、小日向-矢部、金子(達)
▼本塁打 三浦(浦・満塁ホームラン)
▼二塁打 日高 阿部 石井(義) 武藤 菅原 鈴木(哲)(浦)井上 矢部 田島(大)

▼準々決勝
11月7日
浦和学院OB13-2秩父農工OB
8回コールド


秩父農工OB
浦和学院OB
13
【浦】川島、宮崎康哲、前野、関根一、小川、木村良-小川、藤原、渡辺昌
【秩】神塚、伊早坂、野口、古川、宮崎吉-野口、宮崎宣、引間隆
▼三塁打 川島 鈴木康哲(浦)
▼二塁打 藤原 鈴木康哲(浦)

▼2回戦
11月6日
浦和学院OB10-9市立浦和OB

浦和学院OB 10
市立浦和OB
【浦学】川島、鈴木康、仲村、前野、一条、岩田-小川、藤原
【市浦】伊藤、中沢、山田、蛭間、星野豊、喜多野-土橋、佐藤信、大友、狩野
▼本塁打 武藤(浦学)
▼三塁打 鈴木康(浦学)
▼二塁打 武藤(浦学)大友 見井田(市浦)

浦和学院OB 3回戦進出!

▼1回戦
10月17日
浦和学院OB13-1桶川OB

桶川OB
浦和学院OB 13
【浦】仲村、川島、鈴木康、一条、関根一、木村、関根英、根本、岩田、梶原-藤原、渡辺昌、小川
【桶】堀越、前島、吉田、中尾-吉田、高野
▼本塁打 石井義人 大会第1号3ラン バックスクリーン越え!
▼二塁打 平山(桶)秋山(浦)

浦和学院OB 2回戦進出!
2020年度
昨年はPL学園も出場した、「マスターズ甲子園」が大会中止を発表
全国高校野球OBクラブ連合は28日、今秋に予定されていた
「マスターズ甲子園2020(第17回大会)」の【中止】を発表した。

全国高校野球OBクラブ連合の公式HPでは、
「本連合はマスターズ甲子園2020(第17回大会)の主催団体として、甲子園本大会の開催に向けて
各都道府県予選大会をはじめ準備を進めておりましたが、新型コロナウイルス感染症による影響の長期化が懸念されると共に、
第102回全国高等学校野球選手権大会が中止決定されたことを受け、
今年度のマスターズ甲子園2020甲子園本大会および地方予選大会を中止する決定に至りました。
本連合の設立趣旨およびマスターズ甲子園大会理念には高校野球支援を掲げており、
今年度は、各都道府県高等学校野球連盟において検討されている地方大会への援助を主とした
支援事業に注力して参ります。大会関係者・支援者の皆様方には、今年度大会の中止についてご理解を賜ると共に、
高校野球支援へのご協力を頂けますようお願い申し上げます」
と断腸の思いでの決断に至った理由を記している。

2004年にスタートしたマスターズ甲子園は、全国の高校野球OB・OGの憧れの場所・甲子園球場を舞台に、
毎年11月に全国大会が行われ、甲子園出場を目指す予選大会も盛り上がっている、
昨年の第16回大会ではPL学園が大阪府代表と出場し話題になったことも記憶に新しい。

2020年5月28日 高校野球ドットコム掲載
2019年度
第14回マスターズ甲子園埼玉大会
▼決勝
12月1日
浦和学院OB
8-4春日部東OB


春日部東 10
浦和学院 15
浦和学院OB 初優勝
尚、今年度優勝しても来年すぐに甲子園出場という訳ではなく、
2年シリーズのマスターズ甲子園予選は来年の優勝校と再来年の出場権をかけて対戦することになります
▼準決勝
11月23日 雨天中止→11月30日
浦和学院OB
8-4川越OB


浦和学院
川越
▼準々決勝
11月9日

浦和学院OB
18-5熊谷商業OB


浦和学院 10 18
熊谷商業
【浦】前野、阿部、仲村、田口、小川、一條ー阿部、藤原
【熊】吉田、高橋(翔)、木村(伸)、原口(昌)、青野、内藤ー 福田、橋本
▼本塁打 石井(義) 久能木(浦)
▼三塁打 藤原 石井義(浦)
▼二塁打 阿部 川島大 石附 飯島 石井義(浦)橋本 木村竜 川口(熊)

浦和学院OB 準決勝進出!!
浦和学院 石井義人(17期) サイクル安打達成!
▼2回戦
10月27日
浦和学院OB
14-11市立浦和OB
延長10回TB


10
浦和学院 14
市立浦和 11
【浦学】前野、一条、井上、仲村、小川、梶原-小川、藤原、梶原、藤原
【市浦】伊東宏記、岡村、中澤佑介、蛭間、横山、喜多野、泉名-土橋、泉名、佐藤信人
▼本塁打 菅原(浦学)伊東宏記(市浦)
▼三塁打 内田(浦学)萩原x2、伊東宏記(市浦)
▼二塁打 川島、内田、石井義人(浦学)福島、成田、見井田、泉名(市浦)
▼1回戦
10月14日
浦和学院OB
27-3蕨OB


浦和学院 27
【浦】仲村友、阿部、前野、小川雄、関根一、関根英、木村良、一条ー藤原、荒井、渡辺、藤原
【蕨】中山、神田、蟻川、大木、近藤ー 神田、境、萩原
▼本塁打 荒井大樹(浦・2ラン)
▼三塁打 光山(浦)
▼二塁打 川島x2、小野、飯島、御手洗
2018年度
第13回マスターズ甲子園埼玉大会
準々決勝
10月21日
浦和学院OB8-11大宮工業OB


10
大宮工業 11
浦和学院
※10回よりタイブレーク
【浦】仲村友、前野、岩田、田口、関根、井上洋 - 阿部、藤原
【大】青池、田中良、浅賀、平本、増田、小日向、佐藤俊 - 大畑、佐藤俊、小日向
▼本塁打 阿部(浦)
▼三塁打 藤原、井上洋(浦)
▼二塁打 田島(大)武藤、藤原、岩田、菅原(浦)
2回戦
10月8日
浦和学院OB10-6市立浦和OB


浦和学院 10
市立浦和
【浦学】仲村(友)、前野、岩田、田口、一條、梶原 -阿部、藤原、渡辺、小川
【市浦】山田、伊東(宏)、蛭間、掃部、星野(豊)、河内、岡村 -土橋、泉名
▼三塁打 飯島(浦学)見井田(市浦)
▼二塁打 内田、菅原、渡辺(浦学)泉名(市浦)
1回戦
9月24日
浦和学院O19-4浦和OB


浦和
浦和学院 19
【浦学】仲村、前野、岩田、小川、田口、一條ー森原、井上一、渡辺昌、吉田
【浦和】松田、三村、阿部、高田、岩原、高野ー河野、牧野
▼三塁打 井上洋 中村剛(浦学)
▼二塁打 菅谷(浦和)石川 飯島(浦学)
2017年度
第12回マスターズ甲子園 埼玉
決勝
11月26日
浦和学院OB3-4市立浦和OB
延長10回


10
浦和学院
市立浦和 1X

浦和学院
スタメン 1回
浦和学院
スタメン5回
6遠藤
9秋山
7荒井大
2阿部
4七島
8小野
3内田
5荒井洸
DH光山
P中村
6井上
9松本
5岩波
7久能木
3菅原
8尾花
2菅原
7前野
1岩田
準決勝
11月25日
浦和学院OB12-6小鹿野OB

小鹿野
浦和学院 12
【浦】三浦、前野、仲村、岩田、酒井(則)、松本、嶋津(剛)-阿部、藤原
【小】加藤、江田、浅見(芳)、千島、槇田-関根、土屋
▼二塁打 土屋(小)荒井(浦)

浦和学院 スタメン
6遠藤
9秋山
8小野
2阿部
4七島
3日高
7荒井大
DH内田
5荒井洸
P三浦

浦和学院 2年連続決勝進出!
準々決勝
11月19日
浦和学院OB13-9大宮南OB

大宮南
浦和学院 13
【浦】仲村、前野、松本、岩田、井上、嶋津剛-藤原、田中、藤原
【大】加藤、高梨、小堀、栗原-大路、加藤
▼三塁打 久能木(浦)
▼二塁打 菅原x2 藤原x2 内田
2回戦
11月4日
浦和学院OB27-2浦和OB

浦和
浦和学院 27
【浦和】松田、阿部、三村、久野、岩原-河野、阿部
【浦学】仲村、前野、松本、小板、栗山、酒井則、嶋津剛-阿部、藤原
▼本塁打 阿部(浦学)
▼二塁打 三村(浦和)藤原 岩波(浦学)
1回戦
10月14日
浦和学院OB16-1埼玉栄OB

埼玉栄
浦和学院 10 16
【浦】仲村、前野、松本、岩田、嶋津、井上-阿部、藤原、吉田
【埼】大野、五十嵐、別所、相馬、福嶋、宮之原-植村、斉藤、植村
▼三塁打 内田 新井洸(浦)
▼二塁打 黒崎、三又(埼)秋山、日高、小野、菅原(浦)
2016年度
第11回マスターズ甲子園 埼玉
決勝
11月27日
浦和学院OB6-20春日部東OB

春日部東 20
浦和学院
【浦】坂元弥(21期)、内田(23期)、前野(26期)、一條(18期)、梶原(13期)、酒井則(5期)、不明-阿部(28期)、小林真(20期)

浦和学院高校野球部OB 初出場 準優勝

前半(1~4回)
浦和学院 スタメン
後半(5回~)
浦和学院 スタメン
6七島(26期)
8内田(23期)
5日高(32期)
2阿部(28期)
1坂元弥(21期)
3関口(29期)
4栗原(23期)
9沼田(32期)
7松本将(19期)
1梶原(13期)
9石川(19期)
6井上(11期)
3染谷(13期)
8尾花(18期)
2小林真(20期)
7一條(18期)
4塚原(9期)
5山中(16期)
準決勝
11月26日
浦和学院OB10-8鴻巣OB

浦和学院 10
鴻巣
【浦】前野(26期)、内田(23期)、染谷(13期)、栗原(23期)、一條(18期)、井上(11期)ー阿部(28期)、小林真(20期)、田中(20期)
▼三塁打 沼田(32期)(浦)
▼二塁打 秋山(19期) 菅原(15期) 井上(11期)(浦)
準々決勝
11月13日
浦和学院OB10-4松山OB

松山
浦和学院 10
【浦】坂元(21期)、前野(26期)、染谷(13期)、斉藤(14期)、松本(10期)-田中(20期)
▼二塁打 関口(29期)(浦)
2回戦
10月30日(日)
浦和学院OB15-7南稜OB

浦和学院 15
南稜
【浦】坂元(21期)、内田(23期)、染谷(13期)、一條(18期)、井上(11期)、酒井則(5期)-阿部(28期)、田中(13期)
▼三塁打 久能木(19期)(浦)
▼二塁打 栗原(23期) 遠藤(32期) 染谷(13期)(浦)
1回戦
10月8日(土)
雨天順延→15日
浦和学院OB6-3所沢北OB

所沢北
浦和学院
【浦】坂元(21期)、内田(23期)、井上(11期)、染谷(13期)ー阿部(28期)、小林(4期)
▼二塁打 阿部(28期)(浦)



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