浦和学院高等学校発表

「笑顔・希望」-明日へ共に歩む


このページの記事は全て浦和学院高校公式サイトからの転載です

浦和学院高校公式サイト

第83班石巻・東松島交流活動
12月20日(金)~24日(火)の4(車中2)伯3日、第83回石巻・東松島交流活動が行われ、本校野球部3年生22名が参加しました。
また、直前の12月7日(金)・8日(土)の2日間、石巻市の少年野球チームが来校し、交流を行いました。

↓詳細をクリックしてご覧ください。
交流活動

子鹿クラブ交流活動

2020年1月16日 浦和学院高校公式サイトより転載

※尚、今回をもって野球部としての宮城県石巻市へのボランティア活動は一つの区切りをつける最後の訪問となります
石巻・東松島交流活動 野球部監督による講演
2月25日月曜日、石巻・東松島交流活動先である東松島市で野球部監督 森士(おさむ)による講演が行われた。

本校が推進する「ライフスキル講演会」と称し「高校野球監督から見た人材育成術 ~人間力の伸ばし方~」について講和、
社会人・高校・中学校・少年野球に至るまでの指導者向けに大変好評であった。

主催者の石巻法人会によると地域貢献の一環として行われたが「例年になく多くの人が集まり、さまざまな場所の
反省会で盛り上げるほど好評であった」との感想がもたらされた。

震災から8年、野球部だけでも延べ677名のボランティア派遣している。お互いに感謝の気持ちをもって行われた講演であった。

2019年2月28日 浦和学院高校公式サイトより転載
夏休みの宿題、石巻の子どもに“援軍” 埼玉・浦和学院の生徒ら学習指導
楽しい夏休み。でも、子どもたちにとって悩みの種は「宿題」。一方で苦手な科目を克服する格好の機会でもある。
そんな子どもたちに、援軍が現れお手伝い。石巻中央公民館利用者団体連絡協議会「夏休み宿題片付け大作戦」と、
高校野球の名門・埼玉県の私立浦和学院の生徒たちによる支援学習。

子どもたちは「分からないところを教えてもらい助かった」「これで思い切り夏を満喫できる」と喜んでいた。

★浦和学院高生ら指導、復興支援活動7年目
浦和学院高の生徒44人と教職員6人は先日、3泊4日の日程で石巻市大原小など3カ所を訪れ学習支援したほか、遊びなどにも興じた。

大原小(児童19人)には、生徒たち15人が訪問。学年ごとに分かれ、マンツーマンで指導した。
漢字や算数のドリルに取り組む児童たちに、書き順や解き方を助言した。

子どもたちは、高校生たちから「自分で解けるようになったね」など声をかけられ、うれしそうに学習に取り組んでいた。
休憩時間は、鬼ごっこや一緒にプールに入るなど、楽しい時間を過ごした。

6年の安藤楓さん(11)は「漢字の違う読みを知るなど、分かりやすく教えてもらった」と感謝した。

同じく6年の大壁蒼稀(そうき)くん(12)は「分数の割り算が分かるようになった。
高校生とプールで一緒に遊んだことも楽しかった」と語った。

浦和学院高3年の内橋麻甫(まほ)さん(18)は「子どもたちは少人数だが元気いっぱい。
自分たちが加わることで、より多くの人数で遊ぶ経験ができたと思う。何事にも興味を持って取り組んでくれた」と語った。

同校は、復興支援として2012年から活動を続けている。

★公民館で「宿題」一緒に片付けよう
小学生の夏休み中の学習をサポートする「夏休み宿題片付け大作戦」が先日、石巻中央公民館で開かれた。

石巻市内の小学生約20人が宿題の問題集を持参し、計算問題や漢字の書き取りなどに取り組んだ。
同公民館利用団体連絡協議会の会員5人が学習を見守り、疑問点を指導した。

蛇田小6年の木村光里さん(11)は「集中できた。みんなで教え合うと楽しい」と笑顔を見せた。

開北小6年の奥津麻桜さん(11)は「分からないところを後回しにせず教えてもらえたので、はかどった」と話した。

大作戦は、夏休み中の学習習慣を身に付け、児童同士の親睦を図りながら公民館に集うきっかけをつくろうと、昨年から開催している。

2018年8月8日 石巻かほく掲載
野球部が被災地の支援・交流活動実施
震災から6年9カ月。毎年行われている本校野球部の石巻・東松島交流活動が、12月に入り、2回実施された。

★石巻の少年野球チームを招待し交流
12月9日~10日、石巻の少年野球チーム「鹿妻子鹿スポーツ少年野球クラブ」の子供たちと
保護者40名が来校し、野球部と交流した。招待交流は今回で7度目となる。

到着を心待ちにしていた野球部(3年生)が出迎えると、「鹿妻っ子」たちは5時間の移動走行(早朝5時出発)の
疲れを見せるどころか、元気な姿と礼儀正しい挨拶とともに再会に喜ぶ笑顔を見せてくれた。
さらに、グラウンドに立つと、広大な野球場でお兄ちゃんたちと大好きな野球ができることに目を輝かせていた。

交流中は、思い切り体を動かし練習に励む姿やアドバイスを真剣に聞き挑戦する姿、また、名前で呼び合い肩車や抱っこなど
兄弟のようにたくさん甘え、互いにスキンシップを図りながら絆を深めていた。
互いに歩み寄りごく自然な形で打ち解け合う姿は、何度見ても心温まる感動シーンである。

浦和学院高校野球部OB会からは「浦学ユニフォームカラー」のTシャツがプレゼントされた。
子供も大人もTシャツを着こなし、野球の練習に時間を割いた。

天候に恵まれた2日間も、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。図書委員会からは、文化祭募金から図書カードが贈られた。
最後の食事は、地元野球部後援会からの差し入れもあり、ほうとう鍋で締めくくった。
また、子鹿クラブからサイン入り横断幕をプレゼントされ、最後は全員で記念撮影をして幕を閉じた。

★野球部が石巻・東松島にて支援活動実施
東日本大震災から6年9カ月。12月22日~24日の3日間、7回目となる野球部による現地での支援活動が行われ、
1・2年生50名、教職員・スタッフ10名が参加した。2班に分かれ、現地から要請されるさまざまな活動に参加させていただいた。

A班は主に地域への奉仕と野球交流。B班は7年連続となる仮設住宅への「復興きずな新聞」配布を行った。
「思いやり」をチームテーマに設定し、毎夜1時間を超えるミーティングでその日の振り返りを実施。
個人の考えを発表する時間を多く設け、野球以外から学ぶチーム結束の習慣も身につけた。

2日間の滞在時間43時間、短い時間を有効にスケジュール設定した。
震災遺構の「大川小学校」「旧野蒜駅」は全員で視察し、慰霊碑に花を供えた。毎年恒例となった海岸清掃、
保育園児との交流、今年新たに加わった大川小学校周辺の「釜谷地区桜の木保存」ボランティア。
それぞれに意味があり、生徒たちの感想文からは大きな活動の成果が読み取れた。

浦和学院高校公式サイトより転載
石巻・東松島交流活動 第62回活動報告(野球部)
平成28年12月21日~24日まで、第62回目となる石巻・東松島交流活動が行われました。

メインとなる活動は、石巻復興きずな新聞の配付、各施設の清掃活動や子どもたちとのスポーツ交流となります。

石巻復興きずな新聞舎の岩元代表は、住民さんたちも「あの浦和学院の!」と大喜び。

「甲子園応援するから、頑張らいんよ!」と声を掛けて下さいます。

野球部の石巻・東松島交流活動はこちらからご覧ください

浦和学院高校公式サイトより転載

※なお、上記サイトに書かれています日刊スポーツの記事は既にこのサイトで紹介済みの為割愛させて頂きます
「おぢゃっこ」がくれた決意 浦和学院の被災地訪問
「おぢゃっこ」という文化がある。漢字で「お茶っこ」。宮城の方言で「お茶をする」という意味がある。
お湯をわかし、仲の良い仲間と一緒に、お茶とお菓子と漬物などをつまんで休憩をする。
ちょっとした、寛(くつろぎ)ぎの時間だ。
年末の気忙しさに振り回されている中、先日「お茶っこ」に触れる出来事があった。
ある野球部選手たちの、グラウンドでは見ることはできない姿に心が温まった。

甲子園出場22回の浦和学院。2013年センバツ優勝を果たすなど、高校野球では名門と言われる強豪野球部だ。
その浦学の選手、スタッフ84名が21日から3日間、被災地・東松島市、石巻市を訪ね、地元の子供たち、お年寄りなどと交流を行った。
2011年から始まったこの活動。震災漂流物や遺品を拾うなどの復興支援から交流活動へと形を変え、今年で6年目となる。
首都圏より7度ほど気温の低い宮城に約6時間かけてバスで移動し、公共施設に宿泊。大部屋に寝袋を並べ睡眠をとった。
3班に分かれての活動は、仮設住宅の人への「石巻復興きずな新聞」配布、児童74名が犠牲となった大川小学校での献花、
初日の出の名所・野蒜(のびる)海岸のゴミ拾い、東松島体育館の清掃、鹿妻小鹿クラブほか地元野球少年との野球交流など。
日頃から「人として、何を感じ、考え、どう行動するか」を指導している森士監督(52)は、この経験で選手たちが
心の成長を果たしてくれることを願っている。

「石巻復興きずな新聞」というA4判(4頁)の小さな新聞がある。仮設住宅や復興公営住宅に住む人に向けた月1回発行の無料の新聞だ。
震災後から住民とボランティアの交流を生み、傷ついた心の支えになっている。この新聞の配布を浦学の選手18人が手伝うことになった。
コミュニケーション力が足りないと、普段から怒られている選手たち…、果たして大丈夫なのだろうか? 
編集長・岩元暁子さんからは「怖い! みんなの顔が一生懸命すぎるよ」と笑われた。
「試合の時のような威圧感はいらないよ。住民さんには明るく、元気に、笑顔で。相手の気持ちを考えながらお話ししていこうね」。
助言を受け、2人1組で2日間、仮設住宅のドアを1軒1軒ノックして回った。
 「(トントン)こんにちは! きずな新聞をお届けに参りました!」

玄関前で大きな声を出すのは大人でも勇気がいる。緊張で言葉を噛んでしまう選手もいた。復興が進み、空き家も多くなっている。
引っ越しや災害公営住宅への転居で、10軒に3軒ほどしか住んでいないという状況だ。そんな中、広い団地を1軒1軒歩いて回る。
この活動は新聞のポスティングだけが目的なのではなく、高齢の住民さんとの交流が大切。
年々増えている孤独死、震災関連死の防止につながるからだ。新聞を渡した後、相手が会話を始めてくれた時の嬉しさは格別だった。
 「どこから来たの?」
 「高校生? 野球をやっているの?」
野球は良くわからないけど、高校野球は好きだよ、と話すお年寄りが多かった。
冷たい風を受けたため鼻と頬を赤くして立っていると、住民さんから思いがけない親切を受けることもあった。

「外は寒いでしょう。おぢゃこしてくか?」
仮設住宅の中に入らせてもらった選手もいた。
広いとは言えない6畳ほどの部屋に、丸刈り頭をした大きな高校球児がくっついて正座で座り、おじいさん、おばあさんの話に耳をかたむけた。
仮設で暮らす人は、津波で大切な人を亡くした人や、奇跡的に生き残った人が多い。そういう人と何を話したらいいか、
何かを質問してもいいのだろうか。選手たちは緊張し、体を固くしていたが、住民さんは自分のほうから、津波の体験や、
見たくなかった光景を見てしまった話を、どんどん話してくれた。選手たちは黙ってうなづきながら聞き続けた。
自分は何を感じたか。集会所に戻り、選手同士で話し合った。

「40分以上も話をして、住所を教えてくれた。写真を送ってこれからも繋がっていこう思いました。
家が流され、今も眠れない日があるけど前向きに未来を信じて生きて行くと話してくれた。
自分も人を大切にし、最幸の人生を送りたいと思った」(2年・桑野流佳選手)
「始めはどう接したらいいか難しかったけど、2日目は会話が楽しかった。『絶対に甲子園に出てね。応援するからね』と言われて、
夏の甲子園での姿を住民さんたちに見てもらい、夢を与えようと思いました」(2年・家盛陽介選手)
選手たちの中に、新たな決意も生まれた。
「苦しいことから逃げずに、もっと強くなる」(2年・仲里翔貴選手)
「笑顔が素敵な『優男』になって、全国制覇する」(2年・燈中直樹選手)
「今を全力で生きて熱い男になる」(1年・小町竜梧選手)
「プレーで人を勇気づけたい」(1年・佐野涼弥選手)

活動をする前よりも、選手たちが少し大人の顔つきになったように思えた。
「おぢゃっこ」してくれたおじいさん、おばあさんに誓った「頑張る」という言葉の意味。
それを行動で示せるかどうか。新しい1年がもうすぐ始まる。

[追記]
11年、12年に参加した明石飛真さん(東洋大4年・学生コーチ)、笹川晃平さん(東洋大4年・前主将)が
今回チームに同行し、4年ぶりの被災地を自分の目に焼き付けた。

明石さんは「初めて参加した高2の時(津波で)スーパーの上にバスが乗っかっているのを見て、弁当が食べられなかったのを覚えている。
当時、重機で取れないガレキや遺品を一つ一つ手で拾っていく作業をしたが、4年経って町の8割以上が整備されていて驚いた。
住民の人と話すとまだ心に傷を抱えている人もいて、心の復興はまだだと感じました」。    

社会人野球・東京ガスの入部が決まっている笹川さんは「被災地の人と年賀状のやり取りが続いていて『また行きたい』とずっと思っていた。
プロを目指すため原点に返りたくて参加したが、必死だった高校時代をもう一度思い出せたし、4年間会いたかった人たちと
再会できて逆に元気をもらった」と話した。2人の胸には確実に、被災地の人たちの思いが刻み込まれている。

2016年12月25日 日刊スポーツ ネット配信
石巻・東松島交流活動 石巻鹿妻・子鹿クラブ6回目の来校
石巻・東松島交流活動の一環として行われている招待活動。
礼儀正しく元気な集団「子鹿クラブ」の親子34名が来校しました。
2日間の活動をご覧ください。

子鹿クラブ来校

浦和学院高等学校公式サイトより転載
石巻・東松島交流活動 サッカー少年団招待
3月19日~20日の1泊2日において、宮城県東松島市のサッカー少年団FCインパルスを招待した。

この活動における招待は、野球・バスケットボール・サッカーを合わせ10回目となる。

多くの浦学生が歓迎してくれた活動をご覧下さい。

活動の様子が浦和学院公式サイトにUPされています
ぜひご覧ください
http://www.uragaku.ac.jp/blog/topics_news/2016/03/post-642.html
石巻・東松島交流活動 第51回活動報告(野球部)
12月19日~22日、野球部単独5回目となる石巻・東松島交流活動を実施しました。
活動内容は盛りだくさん、その一つひとつに物語があります。石巻編18ページ、東松島編17ページに及びます。

石巻・東松島交流活動の詳細はこちらからご覧ください
浦和学院高校公式サイト
http://www.uragaku.ac.jp/blog/topics_news/2016/01/post-605.html
石巻・東松島交流活動
石巻鹿妻・子鹿クラブ5回目の来校
石巻・東松島交流活動の一環として行われている招待活動。
礼儀正しく元気な集団「子鹿クラブ」の親子29名が来校しました。

2015年12月17日 浦和学院高校公式サイトより

※野球部との交流は、下記よりご覧いただけます
http://www.uragaku.ac.jp/blog/topics_news/2015/12/post-599.html
石巻交流活動 第41回活動報告(野球部)
12月20日・21日・22日の3日間、野球部単独4回目となる石巻・東松島交流活動を実施しました。
震災後、毎年続けているこの活動。今年は、宿泊地を東松島市に移し、多くの協力をいただいて目的を達成しました。
今年は、
1.石巻市にて「仮設きずな新聞」の配布。・・・B班32名
2.東松島市にて「野蒜海岸清掃活動」の実施・・・A班50名
3.両市の子どもたちを招いて、スポーツ交流・・・A班50名
盛りだくさんの活動を項目別にご覧ください。

・26.12.20~22 野球ボラ  石巻編
・26.12.20~22 野球ボラ  スポーツ交流編
・26.12.20~22 野球部ボラ 東松島編

※さらに、浦和学院高校が関係する9団体の子どもたちには、継続しているクリスマスプレゼントを送付致しました。

本校ライフスキル教育の一環として行われている石巻交流活動。
この希薄な世の中で、自ら考え行動する素養が身に付きます。
一般生徒、浦学ふぁみり~一般の方々の是非ともご参加いただきたくご案内申し上げます。

浦和学院高校 公式サイトより転載

浦学生と現地の皆さんとの心温まる交流を是非ご覧ください!
石巻交流活動
石巻交流活動 石巻鹿妻・子鹿クラブ4回目の来校
石巻交流活動の一環として行われている招待活動。
礼儀正しく元気な集団「子鹿クラブ」の親子25名が来校しました。2日間の活動をご覧ください。

浦和学院高校公式サイトより転載

浦学野球部と石巻鹿妻・子鹿クラブの交流についてはこちらからご覧ください
石巻交流活動 野球部-東松山市でボランティア

11月1日土曜日~3日月曜日の3日間、本校野球部3年生の3名が石巻交流活動の一環として、
埼玉県東松山市で、宮城県東松島市の活動をサポートしました。

秋季関東大会を制し、明治神宮大会に調整中の忙しい中、後輩の面倒を見ている3年生が時間を割いて、活動に参加してくれました。

尚、野球部は今年も12月下旬に東松島市・石巻市を訪問し、4年連続となる被災地での活動を行います。

東松山市でのボランティアに関するレポート・動画は浦和学院高校公式サイトよりご覧になれます
是非ご覧ください

東松山ボランティア

浦和学院高校公式サイトより転載
石巻交流活動
NHKラジオ第1放送(全国)で紹介されます!!

ライフスキル教育の一貫で取り組んでいる石巻交流活動の様子が、NHKラジオ第1放送「NHKジャーナル」で紹介されます。

6月19日、NHKFM放送「日刊さいたま~ず」の中で、取り上げられたことがきっかけとなり、全国放送へ発展しました。

NHKアナウンサーとして著名な内藤裕子さんが、取材を何度も繰り返し、一緒に石巻まで同行され、
「現地に行ってこそ感じ、語り、伝えられる、浦和学院高校の活動」を熱く紹介して下さいます。

【放送日】
放送局 NHKラジオ第1放送
番組名 NHKジャーナル
日 時 7月29日 火曜日 午後10時~11時の間、約8分間


番組公式サイト http://www.nhk.or.jp/r1/journal/

【取材内容】
①石巻交流センター特任センター長 畠山卓也への取材
②本校生徒による石巻交流活動、ボランティアへの取り組みの様子
③7月12日、さいたま市立美園中学校における畠山講演会の様子
④7月18日、生徒ボランティア「石巻応援隊」の様子

【聞き逃された場合】
http://www.nhk.or.jp/r1/journal/pickup.html

2014年7月25日 浦和学院高校公式サイトより転載
石巻交流活動 第32回活動報告(野球部)
2月1日(土)~2日(日)の両日、大川小学校にて黙祷を捧げた後、
石巻市開成仮設住宅・南境第7仮設住宅にて、「仮設きずな新聞」の配布を行いました。

※野球部活動詳細

2014年2月12日 浦和学院高校公式サイトより転載
石巻交流活動 第31回の活動報告(バスケ部)
平成26年1月25日(土)~26日(日)、第31回石巻交流活動が行われました。

今回はバスケットチームである石巻レッドライオンズを招待しました。

なかなか双方の日程が合わず、2年越しでの実現となりました。
本校男女バスケットボール部が主幹となり、様々な方の協力・協賛を得て、今回の交流活動が行われました。
お陰様で、石巻の子どもたちにも「もう一度来てもいいですか。」という嬉しい言葉も頂けました。
本当にありがとうございます。

※バスケ部活動詳細

2014年2月5日 浦和学院高校公式サイトより転載
被災地と交流 長く温かく
浦和学院 石巻結ぶ“案内人”
進学した生徒と再会も

さいたま市緑区の浦和学院高校(小沢友紀雄校長、生徒数2400人)が宮城県石巻市の人たちと、物心両面の交流を続けている。
同校の活動には現地の水先案内人がいる。今春まで石巻北中学校の校長だった畠山卓也さん(60)と、石巻専修大同窓会長の伊東孝浩さん。
被災地が何を望んでいるか、何が必要なのかをアドバイスしてきた。浦和学院で支援活動のチーフを務める企画部長の車谷裕通さん(51)は
「畠山さんと伊東さんがいなければ、交流活動はこんなに長く続き、豊かにならなかった」と話している。畠山さんと車谷さんに話しを聞いた。

◆甲子園
夏休み中の8月7日から10日にかけて、特別進学クラスの1~3年生14人と3泊4日の支援活動を実施した。
宮城県・牡鹿半島の大原小(児童数26人)と寄磯小(同14人)で、子どもたちに勉強を教え、一緒に遊んだ。

畠山さんの手引きで実現した活動。子どもたちは喜んでくれたが、引率の車谷さんは気が気ではなかった。
10日は甲子園で自分もOBである浦和学院野球部が仙台育英高校と戦う日だった。

早朝、単身で仙台から飛行機で大阪へ。甲子園で応援した車谷さんは、母校が敗れた後、駐車場に走り仙台育英のバスを探した。

◆佐々木君はいるか
2011年4月以来、石巻市の人たちと交流を重ねる中で、畠山さんが校長の石巻北中の生徒がお祝いの寄せ書きを贈った。
その中で佐々木敬太君は「今度、仙台育英野球部へ行きます。甲子園でお会いしましょう」と書いていた。

駐車場で、車谷さんは仙台育英のバスに向かって叫んだ。「佐々木君はいるか-」。

佐々木君はいた。1年生だがちゃんと仙台育英のユニホームを着ていた。「覚えている?」と車谷さんが聞く。
「覚えています。ご支援ありがとうございました」と佐々木君。それを聞いて車谷さんは「交流していて本当に良かった」と心の中で号泣した。

◆ファミリー
東日本大震災の翌日、浦和学院の小沢校長は車谷さんを呼んで指示した。「東北へ目を向けなさい。支援ではなく交流として考えたい」。
車谷さんは、春の選抜大会で甲子園に派遣する応援団を中止して、浮いた予算を交流活動に回すと決めた。

同4月1日から3日間の第1回交流活動は、水や食料を詰め込んだ大型車2台とグラウンド整備の散水車の3台と車谷さんら職員4人。

生徒の家族など学校関係者だけでなく、学校周辺の緑区代山地区住民の手も借りた。震災以前からの「浦学ファミリー」の活動が生きた。
水は空のペットボトルを集め、よく洗い学校の水道水を詰めた。散水車も清潔な水なので大変喜ばれた。
埼玉でも不足していたガソリンも集め持参した。

◆語り部
知り合ったところに、望まれたものを支援することを原則に、交流は今年8月で27回になる。
石巻の子らを浦和学院の合宿所に招く活動も9月で15回だ。

定年退職した畠山さんは4月から浦和学院高で物理と化学の講師を務める傍ら、震災の語り部として埼玉の小中学校での講演に多忙だ。

「津波の後、私の石巻北中から、北上川の対岸に津波で児童ら84人が亡くなった大川小が見える。あそこにいたら自分もいない。
生き残ったものとしての義務について考え続けてきました」。畠山さんは講演でそう話す。

「津波という言葉を聞くと、体が硬直してしまう子がいる。被災地ではまだ当分、つらい仮設住まいが続く。
家族や友だちを失った悲しみを抱える人たちに寄り添い、心の支えになる支援が欲しい」

「そのために被災地に来て、みんなの心の声を聴いてほしい。新しい友だち、親戚としてこれから長い付き合いをしてほしい。
その仲立ちの役目を果たしたい」。畠山さんは東北、石巻からの使者なのだ。

2013年9月11日 埼玉新聞掲載
石巻交流活動(招待) 鹿妻っ子、浦学へ来たる!!
2月1日深夜に到着した石巻市の少年野球チーム「鹿妻・子鹿スポーツ少年団」一行は、「あっ」という間の楽しいひとときを過ごし、
3日13時30分浦和を出発、19時過ぎ無事に石巻に着きました。
お互い、短か過ぎる時間の寂しさを感じながらも、参加した誰もが、密度の濃い交流に「大満足」を表現してくれました。

『規律正しい、元気なチーム
石巻・鹿妻子鹿クラブがやってきた!』

昨年に引き続き、浦学の校歌を3番まで暗記して唄える「鹿妻っ子」がやってきた。
石巻交流活動の一環として、浦学ふぁみり~皆様の義援金から成り立っている招待である。
本来の予定日12月7日、出発直前に震度5を超える余震。
津波警報発令により来校が延期されていた。浦学に行けずに涙を流してくれた子もいたそうだ。
また、野球部員も再会を楽しみに、3年生は大学入寮当日に控えながらも全員が参加、6名が一緒に宿泊してくれた。
「あっ」と言う間の2日間、参加者全員が別れを惜しんだが、3年生は、
「来年も来ますから、子どもたちが来たら呼んで下さい」と話してくれた。

交流開始のセレモニー。現5年生で新キャプテンの小野君が元気に挨拶。3年生の元主将明石君が返礼した。
練習開始。交流活動を昨年から浦学で2回、石巻でも2回経験し、浦学の体操も慣れたものまずはノックから。
1・2年生は選抜に向けて練習のため、3年生が子どもたちと一緒に練習。
練習試合。浦学3年生チームは、右打者は左で、左打者は右打ちで対戦したが、好投手嶋田君から三振の山。
最終回に追いつかれ延長戦。ゲームの結果は7-6で辛勝(喝!!)。最後は、両チーム仲良く握手。
甘えん坊の「鹿妻っ子」。12月に石巻で交換した「垂れ幕」は、毎日の練習で飾られている。

最終日は「恵方巻」。森監督の粋な計らいで、投球練習場で団欒のお弁当。ブルペンでは、本気の投球練習中。
浦学ふぁみり~義援金からは、ウィンドブレーカーが手渡された。3年生から子鹿クラブスタッフへ。
寒い石巻では、「少しでも温かく」。ウィンドブレーカーを子どもたちに手渡す3年生。
鹿妻っ子からは、3年生一人ひとりにフルネーム入りの手紙が返礼された。パートナーは大喜び。
最後に、子鹿クラブチームから1・2年生に「甲子園頑張れ!!」の色紙が小野主将から西川代表へ手渡された。
遊楽社田村社長の企画提案で、100名分の豆が用意された。「福は内」。紅白戦の敗者が鬼役となった。


震災から約2年が経過する。進まぬ復興に、「復旧すら進んでいない、瓦礫を取り除いただけ」という声が多い。
確かに暗い夜道、女子高生が一人自転車で帰って行く。小学生が一人歩いている。そこに電灯はない。
壊れた住宅からの「物とり」泥棒も増えているという。いろいろな声が聞こえてくる。
でも、「鹿妻っ子」たちはとても元気に「野球」をする。石巻はとても野球が盛ん。
小学生のクラブチームでも毎日練習。休みは週1日だけ。
礼儀正しく、元気な集団。「何かしてあげたい」と、思わせてくれる。
子どもたちだけではない。スタッフや保護者も同じ。礼儀正しく、恩を忘れない人たち。

鹿妻・子鹿クラブスポーツ少年団とは、震災後の5月30日に初対面、その後交流を続けている。
昨春は、片道15時間かけて甲子園応援にも駆けつけてくれた。
震災が生んだ交流。何とも皮肉だが、お互いポジティブに前に進んでいくしかない。
浦和に来た子どもたちは、本当に嬉しそうだから…。
学校も野球部も、生徒たちみんなが、そして関係する浦学ふぁみり~の多くが誠心誠意対応してくれた。
コーディネート役をしていてこんなに嬉しいことはない。
24年12月7日、17時15分埼玉でも震度5の余震が発生した。予感は的中、津波警報が出た。
「残念、無念」。「来たい」という申し出があっても「こないで下さい」と断るつもりだった。
(なぜなら、準備のことを気にして、「警報」の中、来ることが予測できたからだ。)
警報が解け、20時過ぎ「苦渋の決断をして、中止にしました。」双方が涙をこらえていた。
「自然は、こんな楽しみまで奪うのか」。私も、ぶつける矛先がなかった。悔しかった。
でも、数日後「中止でないですよ。『延期ですから』」と言える自分がいた。
「浦学さんとは長くお付き合いをしたい、これ以上は甘えられない」と、今回のバス代は自分たちで工面された。
食事も「ほかほか弁当を手配だけして下さい、代金は払います」と、代表の言葉は前向きだった。
「5年後、10年後も招待して欲しいのです。だから、小遣いを貯めてきました」。
こんな、やりとりの中で、交流活動は続いている。
多くの浦学ふぁみり~皆様の協力があって成立する交流活動。
今回も、石巻からお越しになった32名の方々に、ほんの少しの幸福な時間を提供できたと思う。
この場をお借りして、報告と感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

東日本大震災対策本部渉外担当車谷

『浦学ふぁみり~の思いが食事にも』
2泊3日の強行軍。宿泊は合宿所、布団は貸布団。招待と言っても合宿同様、
せめて食事は「美味しく、温かく」と準備された。
今回の食事は、卒業生でお弁当業者の田村氏が子どもたち、大人の方々も喜ぶ食事を作ってくれた。
魚の街石巻の子どもたちも「この鯖美味しい」。「ハンバーグ大好き」と、大喜び。
田村氏自ら「ボランティア」を自称、出血大サービスで、会席風にアレンジ。最後には東北名物「うーめん」までふるまわれた。
最後の食事は、「恵方巻」を100人分用意して下さり、野球部員全員と「同じ釜の飯」を食べ、節分で「福」をよびこんだ。
「浦学のお客様は、私のお客様です!」と田村氏。

協力㈱遊楽社田村雅樹社長

協賛
食事株式会社遊楽社様(12月の中止分の負担、食材・人件費の大半)
賞品株式会社ベースマン様(ビンゴの景品を盛りだくさん)
寝具山下寝具様(12月の中止分をすべて負担)
寄贈野球部父母会様(ボール5ダース)
寄贈株式会社ベースマン様(ボールケース、バットケース)
以上

浦和学院高校公式サイトより

※浦和学院高校公式サイトにはこの交流の写真もたくさん掲載されています
是非ご覧ください!!
野球部 それぞれの「思い」を石巻へ

12月21日~23日まで、本校野球部生徒・教職員の総勢75名が石巻で、交流活動を展開しました。
今回は、保健医療コース、特別進学コースに続く、生徒主体の活動です。
3日間は、あっという間に過ぎてしまいましたが、笑顔あり、涙ありの多彩な活動が展開されました。
教職員スタッフ3名で撮影した写真点数は1,400枚。
すべてをお伝えできませんが、写真とYOU TUBEによるビデオをご覧ください。
多くの説明がなくとも、活動の全容が心ある皆様に通じることと思います。
是非、最後までご覧ください。

↓活動記録 公開(こちらからpdfをご覧ください)
24.12.21~23 第21回交流活動


YOU TUBE 公開
鹿妻保育所 一緒にラジオ体操―石巻方言バージョン
http://www.youtube.com/watch?v=FGnh1Xt3jF0&feature=youtu.be

鹿妻保育所 内田先生が縄跳び
http://www.youtube.com/watch?v=_I3lUfugsLM&feature=youtu.be

大須中学校 中学生が「浦学生」へ応援エール
http://www.youtube.com/watch?v=2cW2BOqeOis&feature=youtu.be

北上中学校 炊き出しの様子(200名分の豆乳鍋)
http://www.youtube.com/watch?v=TxrxPFFRu4k&feature=youtu.be

旧雄勝町総合庁舎 「雄勝硯」壁面撤去
http://www.youtube.com/watch?v=DNzdtUL9da4&feature=youtu.be

鹿妻・子鹿クラブ 小学生が「浦学校歌」熱唱
http://www.youtube.com/watch?v=vmABWO_B3-M&feature=youtu.be


浦和学院高校公式サイトより
12月21日~23日 野球部 石巻での交流活動参加
昨年の冬に続き、野球部が石巻を訪問し、炊き出しや瓦礫の撤去作業を行う。
本校の石巻交流活動は、21回を数え、夏の保健医療コース、特別進学コースに続く、生徒の参加となる。
野球部は、引退した3年生が自主的に参加を申し出てくれ、復興が進まず苦しい日々を送る皆さんとの交流が展開される。

また、クリスマスの時期を利用して、中学校2校、小学校2校、保育所1園への、クリスマスプレゼントも送られる。
同封されるクリスマスカードは、生徒会の役員が300枚を書きあげてくれた。

厳寒の石巻、風邪をひいての欠席もなく生徒65名、教職員10名の75名が21日午前0時30分、東北に向け出発する。
浦学が被災者招き講演会 2800人生き延びる厳しさに涙
東日本大震災が起きてから、これまでに20回を超える支援活動を続けてきた浦和学院高校(さいたま市緑区)が、
市文化センター(同市南区)に石巻市立北上中学校の畠山卓也校長らを招き、震災当時の状況を伝える講演会を行った。

 浦和学院が支援物資を送ったり、被災地の子供と交流したりしてきた活動が9月に1冊の本にまとめられ、
刊行に合わせて10月10日に講演会が開かれた。同校生徒や一般来場者ら約2800人が集まった。

 生徒ががれきの撤去をしたり、炊き出しをしたりする様子を写真で紹介。
その後、畠山校長は、宮城県南三陸町が津波にのまれる映像をスクリーンに映した。
80人を超える児童や教職員が死亡・行方不明となった同市立大川小学校周辺の震災前後の空撮写真も映し出された。

 「亡くなられた方の多くは、家族を待った人、家族や財産のために家に戻った人。
もし大切な人に避難を阻まれたら、払いのけてでも逃げなさい」

 住宅街をのみ込む津波の映像と、生き延びるための厳しい言葉に、涙を流す人もいた。
静まり返る場内で、畠山さんは「皆さんならどう逃げるか。この経験を伝え、避難の訓練をしなければならない。
あなた方には、何としても生き残ってほしい」と、繰り返し訴えた。

 昨冬、支援活動に参加した野球部の明石飛真さん(3年)は「実際に被害を見て、言葉を失った時のことを思い出した。
12月にまた行くので、出来ることは全部やりたい」と意気込んだ。

2012年10月16日 読売新聞掲載
浦和学院が招待試合に参加
秋田北鷹高校野球場完成記念

県立秋田北鷹高等学校の野球場完成を記念し、10月13日(土)、全国的にも知名度の高い、
埼玉県の浦和学院高等学校を招き、招待試合を行いました。

 この野球場(両翼92メートル、中堅122メートル)は、旧鷹巣農林高等学校のグラウンドを利用し、
フェンスや土の入れ替えを行い、改修費1億5千万円で今年の8月に完成。この完成を記念し、
秋田北鷹高等学校野球場こけら落とし実行委員会(津谷正俊・実行委員長)が設立され、
招待試合のほか、前日の12日には、浦和学院高等学校野球部の森 士(おさむ)監督の記念講演などが行わています。

 この日、招待した浦和学院高等学校は、甲子園に19回(春8回、夏11回)出場し、そのうちベスト4に2回、
ベスト8には、今年春の大会を含め3回の実績を持ち、埼玉県内でも甲子園に最多出場している強豪校です。

 記念すべき試合に先立ち、キャッチャーに虻川広見副市長、バッターには秋田北鷹高等学校の佐藤英樹校長が立ち、
津谷市長による始球式が行われました。多くの人が見守ったこの一球は、見事にストライク。観客からは「おー」という歓声が上がっていました。

 引き続き行われた第一試合。初回から秋田北鷹高校の初安打や、浦和学院高校の守備にダイビングキャッチなどの好プレーがとびだし、
観客からは歓声や拍手が起こりました。両チーム共に締まった守備を見せていましたが、
3回裏に浦和学院がヒットから送りバントなどで1点先制。
更に6回裏には安打を集中させ、3点を追加しました。北鷹も安打は出るものの後が続かず、そのまま4対0で浦和学院が勝利。

  第二試合では、こけら落とし第1号となるソロホームランで先制した浦和学院が、1対0で逃げ切り、
招待試合は浦和学院が2戦2勝と強豪校の強さを見せつけました。
北鷹高校を応援していた観客は、負けはしたがミスが少なく強豪校相手に良い試合をしていたと満足そうに話していました。

北秋田市公式ホームページより転載
第84回選抜高校野球大会
野球部初戦突破!

昨年春の選抜大会は、東日本大震災の影響で本校は応援自粛を決定。
そのエネルギーを被災地に向ける活動を展開した。2年連続8回目出場となった今大会の1回戦、敦賀気比高校(福井)戦では、
総勢千名からなる応援バス22台と新幹線で甲子園入りし、野球部へ声援を送った。結果は11安打10点の猛攻で快勝した。
春夏通算18回の甲子園出場を誇る本校だが、2004年夏の勝利を最後に、出場5大会連続で黒星が続いている。
森監督は「選手に感謝、感謝です」とナインを讃えた。また「日本一が目標」という選手たち。
大舞台で課題を克服し、久しぶりの「勝利の校歌」にスタンド全体が酔いしれた。

浦和学院高校のスクールカラーは「臙脂」(えんじ)。
スクールカラーに近い「浦学ファイヤーレッド」と名付けた浦学色。
帽子・メガホン・ポンチョを同一色でデザインし、応援に一体感を保つ。
生徒会・吹奏楽部・ソングリーダー部・野球部で編成された応援指導部「浦学ファイヤーレッズ」。甲子園では初の登場となった。

野球部・野球部父母会の皆さんも統一したポンチョで応援。スタンド全体に一体感が増した。
今大会から新調された「浦学ファイヤーレッズ フリ―ス」。野球部員が着用し、応援の形をリードする。
吹奏楽部が着用しているのは、「浦学ファイヤーレッズ ジャンパー」。頼もしく演奏する吹奏楽部の男子部員。

野球部父母会も緑川会長指揮の下、統率のとれた応援で選手たちを盛り上げる。
ソングリーダー部も「浦学ファイヤーレッズ コスチューム」に身を包みスタンド全体に華をそえた。

東日本大震災発生後、被災地支援を続けてきた本校。石巻市への訪問15回、浦学への招待事業は5回を数える。
24年1月、支援から「交流プロジェクト」に活動方針を変更し、被災地とさまざまな交流を図っている。
このたび、野球部の甲子園出場に際してはご紹介の通り、さまざまな激励を受けた。
また、1回戦には石巻市より36名の方々が片道12時間をかけて応援に駆けつけて下さった。
浦和学院高校が被災地の方々からいただいたエネルギーは、計り知れない大きな財産となっている。
短時間ではあるが、浦学ふぁみり~「浦学石巻応援団」として一喜一憂できたことが嬉しい限りである。
今後の展開によっては、さらに大勢が参加してくれる予定だ!!
◆参加団体 総勢36名
石巻市立鹿妻保育所関係4名様、石巻復興支援協議会職員2名様、鹿妻・子鹿クラブスポ少野球13名様、
石巻市立牡鹿中学校生徒10名様、東松島FCインパルスサッカー少年団5名様、石巻専修大学同窓会2名様
アルプススタンドに掲げられた横断幕(鹿妻保育所様)と千羽鶴(子鹿クラブ様)は、勝利を導いてくれた。

投打のバランスがかみあい、「浦学らしさ」のシャープな打撃と堅守で試合を運んだ。
投打の要、3年 佐藤投手(鹿嶋市立鹿嶋中学校)が大活躍。佐藤の復調は浦学にとって頼もしい。

浦和学院は二回、四球や敵失で一死二、三塁とし、1番竹村春樹が左犠飛で1点先制。
四球の後、3番佐藤拓也が左中間を破る二塁打を放ち、2点を追加した。
三、四回にも1点ずつ加えて終始リードを保ち、九回には相手投手の制球の乱れをついて
4安打5得点を挙げ、勝負を決めた。
5犠打と手堅さも発揮した。昨年の選抜で本来の投球ができず苦杯をなめたエース佐藤は、
緩急をつけた投球で相手打線に的を絞らせず、被安打6の好投を見せた。守備も無失策で安定していた。
(読売新聞 蓮尾記者文責引用)

★石巻の子どもたちに「ありがとう!!」
石巻市から総勢36名の応援団が駆け付けてくれた。野球少年のみならず、6月に来校したサッカー少年を含む小学生7名、
中学生も8名を数えた。中でも、石巻鹿妻・子鹿クラブの子どもたちは、12月の浦学訪問以降、3回の合同練習を重ねてきた。
チーム全員が甲子園応援を楽しみにしていたが、終業式と重なり卒業した6年生4名以外は未参加となった。
試合終了後、小沢校長は、6年生の子どもたちに「遠い所、ありがとう。君たちも頑張って」と激励した。

★開会式観戦 一般応援団のみ
本校の試合が、大会初日に決まり一般応援団(生徒以外)と石巻浦学応援団は開会式も観戦した。
浦学生の晴れ舞台を見れる絶好のチャンス、また、選手宣誓を行った石巻工業高校の阿部翔人主将が
鹿妻・子鹿クラブの出身であることから、石巻応援団も先輩の姿に感動という。
「見せます、感動・勇気、そして笑顔」の宣誓は、浦学が石巻に対して示してきたスローガン「笑顔・希望―明日へ共に歩む」と
共通しているものがあり、私たちも感じることの多い開会式となった。
「がんばろう!日本」(写真下)の横断幕は1年間石巻市役所に掲げられていたもので縁深いものを感じた。

野球部は2回戦に向け順調な仕上がりです。
雨天順延となっていますが、引き続きご声援下さい。

甲子園2回戦 応援ツアー
http://www.uragaku.ac.jp/event_kousien.html

浦和学院高校公式サイトには甲子園の様子や応援の様子、試合の様子などの画像が公開されています
是非ご覧下さい!
石巻交流プロジェクト
「笑顔・希望」明日へ共に歩む

第15回石巻交流活動 北上仮設住宅炊き出し

2月25日(土)~26日(日)、本校教職員14名が、石巻市北上町の北上中学校及び隣接する
仮設住宅にて炊き出しを行って参りました。

また、この度の春の選抜高校野球大会出場に伴い素敵な応援メッセージをいただいた
鹿妻保育所、子鹿クラブの皆様のもとにも訪問させていただきました。

北上町炊き出し
仮設住宅の皆さまへ温かい食事と楽しいひとときを

「支援」から「交流」へとその呼び名を変えてから2回目の石巻交流活動。
2月26日(日)、石巻市北上町の石巻市立北上中学校にて、隣接する仮設住宅の皆様への炊き出しを行いました。

8月に参加した科学の祭典石巻大会以来、支援・交流活動を通じて深い親交のある石巻市立北上中学校の
畠山卓也校長先生のご厚意により、北上中学校を会場として、隣接するにっこりサンパーク仮設住宅をはじめとする
北上町の皆様への炊き出しをさせていただくこととなりました。
本校からは教員7名と職員7名が参加し、学校外からも調理担当として本校15期OBで弁当販売でもお世話になっている
㈱遊楽社社長・田村雅樹様、石巻との仲介者として専修大学課長補佐・藤田博行様、
撮影担当として㈱フラワーコミュニティ放送の皆川雄治様、添乗として㈱近畿日本ツーリスト・小峰勇様、
元気村グループから10名、大連市中心病院看護師研修生9名が参加しました。
1月25日(土)23時、本来の集合時間は午前0時にもかかわらず、ほとんどの参加者が集合し、早速荷物の積込を開始しました。
この積込においても、その手際の良さはさすがの一言でした。生徒指導部長の小茂田部長も遅い時間にもかかわらず
応援に駆け付け、一人ひとりに温かい飲み物を差し入れ、送り出して下さいました。
午前0時5分、無事全ての荷物の積込を終え、石巻に向けて出発しました。
今回車中では、初めて被災地を訪れる人が多いため、事前知識として、
震災から現在までの被災地の様子について収録されたビデオを上映し、
被災地へ向かいました。

出発時の団長挨拶
「孔子の言葉で『己の欲せざるところ、人に施すことなかれ』という言葉があります。
有名な言葉ですが、自分がされたら嬉しいこと、相手のことを考えて行動することが大切だということです。
現地へ行って、自分に何が出来るかはまだ分かりませんが、この精神を胸に、炊き出しを成功させて被災地の皆さんに喜んで頂けるように、
みんなで頑張りましょう。」

途中休憩をはさみながら出発からおよそ6時間後、最初の視察地、東松島市野蒜地区に到着しました。
この地域は震災から間もなく1 年が経とうとする現在まで、震災当初のままの状態で残されている地域の一つです。
倒壊寸前の家屋や残されたままの食器やアイロン、破裂した水道管からは、おそらくあの日以来ずっとなのか、
水が噴き出している状態でした。石巻専修大学の伊東さんによれば、この野蒜地区はもうほとんど住民がいないため、
今はもう復旧作業が行われていないのだということでした。

校舎内にいた全校生徒教職員が屋上に避難、焚火で一夜を過ごし無事に助かったという吉浜小学校。
未だにそのときの蹴破った扉、焚火が残されたままでした。

一方、多くの命が津波によって奪われてしまった大川小学校。
教職員全員で供花をさせていただきました。訪れるたびにいらっしゃる保護者の方はやはりこの日もいらっしゃり、
降りしきる雪の中、慰霊碑に積もる雪を、指先を真っ赤にしながらいつまでも拭っていらっしゃいました。

大きなお礼をもって鹿妻保育所へ
一行は、この度春の選抜高校野球出場が決まった際に、とても素敵な横断幕を贈ってくれた鹿妻保育所へ感謝の気持ちを届けに行きました。
土曜日ということもあり、子どもたち全員にというわけにはいきませんでしたが、6名の子どもたちと阿部所長、保育士の皆さんに
野球推進部長の高間より感謝の気持ちとこれからの試合に向けた意気込みを御礼の特大ボードと共に贈りました。
子どもたちはボードに駆け寄り、「僕ここにいる!」「○○ちゃんだ!」と夢中になってとても喜んでくれました。

子鹿クラブも合流 素敵な千羽鶴を作ってくれました
子鹿クラブの皆様からも、選抜出場のエールと素敵なメッセージ付きの千羽鶴を頂きました。
野球推進部長の高間は、新調の野球部ジャンパーを披露し、「これを野球部全員が来て甲子園に出場します。
皆さんに見ていただきたくて今日着てきました。是非試合を皆さんで見に来て下さい。
皆さんからの応援を力に精一杯戦ってきます。」と甲子園での再会を約束しました。

畠山校長先生の待つ北上中学校に到着 炊き出しの準備へ
北上中学校到着後、暖かい教室に集まり、畠山校長先生が歓迎のお言葉と、校舎内の説明をして下さいました。
「これまで、様々な伝手・ご縁で学校の先生方に来ていただいて子どもたちと遊んでもらったり、
勉強を教えてもらったりしてきましたが、いよいよ今回は大人たちの支援ということで、どうか仮設で暮らすお母さん方に
お話のできる場を作ってあげてください。
炊き出しは避難所だけだと思っていましたが、仮設でも十分効果的です。これからは仮設支援ということで、浦和さんにはお世話になるかと
思いますが、どうかよろしくお願いします。」

学校に入ってすぐ、校舎を使わせていただく身にも関わらず、歓迎して下さる畠山先生の優しさを感じるウェルカムボードが…。
教室に入って席に着くとUGバックが。大切に使ってくれていました。

調理担当㈱遊楽社の田村社長の指揮の元、あっという間に手際良くバスから荷物が運び出されました。
その模様に畠山校長先生からは「さすが浦学…」という言葉が。

メンバー全員集合 いよいよ炊き出しスタート
午前6時。周辺の山々には雲海が広がり、まだ日も昇らない早朝から作業は始まりました。
前日の豪雪で中学校周辺は雪や氷で滑りやすくなってしまい、炊き出しに来て下さる皆様が滑ってしまわないように、
教職員全員で雪かきを行いました。

元気村グループの皆様も加わり、この度の炊き出し参加者総勢36名が揃いました。
調理班・喫茶班・サービス(出前)班・健康診断班・広報班の5班に分かれて打ち合わせを行い、
11時30分からの開始を準備万端で迎えました。

想像以上の反響 多くの皆さまの笑顔と「ありがとう」
「前日あれだけ雪が降ったから、仮設の皆さんはあまり外出したくないかもしれない…」そんな心配をよそに、11時30分になるや否や、
仮設の皆さんがぞくぞくと中学校に来て下さいました。小さな子どもからお年寄りの方まで、多くの皆さんが「おいしい」と言って食事を
楽しんでいらっしゃいました。来て下さった方の中には、「孫たちに食べさせてあげるんだ」と言って抱えきれないほどの器を持って
いかれたり、「2回目だけどいいですか?」と言って何度も食べに来てくれたり、「とても美味しいからお鍋でもらってもいいかしら?」と
言ってお鍋をもって来た方もいらっしゃいました。子どもたちにはドリンクコーナーのココアが人気で、「もう僕3杯目だよ」と自慢げに
言ってきた男の子もいました。出前作戦(畠山校長先生が命名)も大成功。やはりこの積雪などで家から出られない方もいらっしゃり、
サービス班の教職員やボランティアの大学生が出前に伺うと、「わざわざありがとうございます。本当にありがたい。」と
大変喜んで下さいました。

「北上の仮設の人々 “浦和”という言葉を決して忘れません」

「この瞬間が一番辛いんだ」以前にそうおっしゃっていた畠山校長先生。
しかし先生はバスの姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくださいました。
「さようなら」ではなくて「またね」と。

今回の交流活動を経て…
野球推進部長 高間薫
『被災者にとって、立ち直るための心遣いや援助がとてもありがたい。
被災しなかった人は、どうか現地を見に来てほしい。余裕があれば、それを自分の言葉で伝えてください。』
私は、この畠山校長先生の言葉が忘れられません。実際に被災地を訪れ、悲惨な情景だけでなく、人々との関わりのなかで
本当に様々なことを感じ、考えました。自分にできることは何か、そう思った時この校長先生の言葉が心に響きました。

畠山校長先生からのメール
アッという間の充実した二日間をいただき,こちらこそ,ありがとうございました。
仮設の方々が口を揃えて,「とても美味しかった」,「ありがたかった」,「住宅にまで運んでいただき,うれしかった」,
「メニューが大変充実していた」と言っており,間に入った者として,とても鼻が高いです。
次回は”ウラワ”と言っただけで,また大勢の方々が鍋を持参して学校にやってくるでしょう。
地元の人に聞いてみると,「仮設住宅の集会所までは行くことができるが,学校は敷居が高くてなかなか行きにくい」という人が
少なくないそうです。
お陰様で,今回は,抱負なスタッフを活用して”出前作戦”で臨むことができ,大変喜ばれました。
もし,次回があるとしたら,あらかじめ希望をとっておいて直接配達する方法も可能になると思います。
今回の”出前作戦”は,そういう意味で,新たな方法を開拓したといえます。
元気村の方々や大学生にも感謝したいと思います。
1日目の晩に皆さんと忌憚なく,楽しく懇談できたことは,私にとって何よりの「心のケア」となりました。
あれだけたくさんの大人が心を一つにして何かに向って取り組める職場,という意味で,浦和学院さんがとても羨ましいです。
心を許せる仲間と過ごす時間は最高ではないでしょうか。私はただ単に場所を提供しただけです。特別,何もしていません。
ただ,人と人とが出会う場を提供する,理科でいう”触媒”のような仕事をすることができて,とても幸せです。
また,ご縁があったら,北上にお出でください。
この度の北上の仮設住宅への炊出し支援,本当にありがとうございました。
北上の仮設の人々は,”浦和”という言葉を決して忘れません。
小澤校長先生によろしくお伝えください。
また,野球の皆さんに「甲子園での活躍を,北上仮設の人々が応援しています」とお伝えください。
浦和学院高校 石巻交流プロジェクト
「笑顔・希望」-明日へ共に歩む


野球部の選抜大会出場
石巻の皆さんから多数の祝福


1月27日金曜日、本校野球部が春の選抜高校野球大会に出場が決まると東日本大震災で交流を続けてきた石巻市の皆さんから
多数の祝福が寄せられた。また、もともと29日に仙台市への出張が予定されていた対策本部車谷(企画部長兼事務部長)と
企画部河野が第14回目の交流活動として石巻市を訪問、さらなる祝福を受けた。

本校が続けてきた「支援活動」を「交流活動」へ変更した最初の現地入り。
現地の皆さんから「これからも対等な立場で細く長く交流を継続して欲しい」という声が多く聞かれ、
多くの温かい心遣いとおもてなしを受けた。
「今度は我々がお返しする」「埼玉で何かあったら駆けつける」、東北人特有の人情のように思えてならない。

しかし、現実は厳しい環境であることもお伝えしたい。例年より寒い今年の冬、石巻では人生初のマイナス8℃を経験した。
「寒い」というより、そのまま凍る感じ。『厳寒』とはこのことなのか。仮設住宅や1階が損壊した2階で暮らす人々が多いから。
とにかく被災地では歩いている人を見かけない。「どのように暮らしているのだろうか」「仕事は復職できたのだろうか」と
たくさんの思いを巡られながら接しているのが現実。
子どもたちは笑顔をたくさん見せてくれるが、ある大人の方は「子どもたちがいなかったら、何も変わらない先が見えない中で
おかしくなってしまう」とも話してくれた。

また、小沢校長の推進する予知予防のための「携帯型心電計」の利用も増えてきているが、疾患のある方も多くみられるようになってきた。
震災から10ヶ月が過ぎ『心の傷』が癒せないでいることに変わりはない。私たちが被災地に出向くことで、一秒一瞬でも悪夢を忘れ、
笑って過ごしてくれる時間を提供できたなら嬉しく思う。

2月25日・26日は石巻市北上中学校に隣接する「にっこりパーク仮設住宅」に第15回交流活動として、初の炊き出し支援を行う。
教職員約20名の大編成で、「豆乳鍋・サムジャン丼・ポテトサラダ・おしるこ」など浦学にしかできないメニューで
喜んでいただくことを企画中である。「とん汁には負けないぞ!!

元気の集団「鹿妻・子鹿クラブスポ少野球」を訪問

氷点下の体育館で活動中の鹿妻子鹿クラブを訪問。浦和からバドミントンの羽根を持参しT打撃で一緒に練習

普段と違う練習メニューに快音を発し、打撃練習に取り組む子どもたち。小学生とは思えないフォームだ

企画部 河野聖子からは、12月に本校を訪問してくれた際の動画ビデオと写真集を一人ひとりにプレゼント
〔DVDは、野球部 佐藤拓也選手の父佐藤勝美様からの寄贈 佐藤さんも茨城県鹿嶋在住で津波被害に遭われている〕

12月に訪問した子どもたちにプレゼントしたチーム名入りのリュックサック。その後入団した3名にも追加してプレゼントした。
このあどけない子どもたちに1日も早く「真の笑顔」が戻る日を願ってやまない
「これでみんなと同じリュックだね、遅くなってごめんな!!」

※鹿妻保育所・石巻専修大・石巻市立北上中学校・鹿妻・子鹿クラブからの暖かいメッセージ、
野球部からの返礼も公式サイトには掲載されています
是非浦和学院高校公式サイトをご覧下さい
『復興支援プロジェクト 「笑顔・希望」―明日へ』から
『石巻交流プロジェクト 「笑顔・希望」-明日へ共に歩む』へ


東日本大震災以降、積極的に被災地支援を継続してきた本校。
このたび、大震災から10ヶ月。まもなく1年が経過する機会にプロジェクト名を変更し、
新たな気持ちで交流を継続することとなりました。

◆さらに被災地交流活動を継続します。
第14回訪問活動 1月28日(土)・29日(日)
石巻市立北上中学校・鹿妻保育所・鹿妻子鹿スポ少野球・南方ナーシングホーム翔裕園にて交流活動。

第15回訪問活動 2月25日(土)・26日(日)
石巻市立北上中学校にて「炊き出し」。隣接する「にっこりパーク仮設住宅」及び北上地区の方々に提供予定。

浦和学院高校公式サイトより
「笑顔・希望」-明日へ
第13回被災地支援 野球部2回目の石巻


野球部は、年末のボランティア活動に続き1月6日~10日(車中2泊)石巻市にて2回目のボランティア活動を行いました。

年末に引き続きボランティア活動
野球部 石巻市にて貴重な体験

野球部の総勢19名(顧問1名・コーチ1名・生徒17名)が第13回被災地支援として、平成24年1月6日~10日(車中2泊)まで
石巻市を訪問しボランティア活動を実施した。野球部のボランティアは、年末に続く2回目となる。
今回の活動は、NPO法人「ピースボート」様に参加申し込みを行い、がれき撤去などの復旧作業を中心に行われた。年末に体調不良などで
参加できなかったメンバーなど総勢17名の生徒は、学校をマイクロバスとワゴン車で出発、石巻市入りし、ピースボート災害ボランティアセンター
(2泊宿泊させていただいた)を拠点に渡波地区周辺の長浜にてがれき撤去、雄勝町にて貝がら拾い、牡鹿半島にて畑づくりなどの作業に従事した。
さらに最終日の9日夕方には鹿妻小学校体育館に立ち寄り、12月から2回の交流が続いている子鹿クラブスポ少野球チームを相手に
3回目の練習を手伝い、子どもたちと元気よく活動した。
寒風が吹き荒れる極寒の海、被災地の海岸を主体に清掃活動をした野球部の選手諸君に敬意を表したい。
そして、石巻市立北上中学校の畠山先生からいただいた教示「ボランティアが本業ではない。今、目の前のことをしっかり行い、
その上でボランティア活動から何かを学んで欲しい。
その活動を少しでもいいから継続して欲しい」を一人ひとりが胸に刻み、自分たちが掲げた目的達成のため努力して欲しい。


浦学 鹿妻・子鹿クラブ
元気の集団と3回目の交流

鹿妻小学校体育館では、元気の集団子鹿クラブの子どもたちと一緒に練習する野球部員
今回、子鹿クラブの練習メニューで浦学生がサポートする形となった。

子鹿クラブ阿部日出喜代表は、「浦学生と過ごすと、子どもたちの意識も高くなる。
このような形で支援を継続してもらえることを『親の会』を含めて大変感謝している。」と話して下さった。

公式サイトには画像も掲載されています
是非ご覧下さい
「今 浦学に出来ること」
「笑顔・希望」~明日へ
自分たちのできることをすべて実践
野球部 石巻市にてボランティア活動
「何かが足りない…。」野球部監督の森士先生は、秋季関東大会二連覇という偉業を成し遂げながらも、
明治神宮大会初戦で愛工大名電高校(愛知)に大敗し今までにない悔しさを味わったに違いない。
そして、ついに浦学野球部が動いた。
東日本大震災当日、春の選抜高校野球大会出場を控え沖縄キャンプに遠征中だった野球部は2時46分、那覇空港にいた。
羽田空港が封鎖され帰京することができず空港で数時間足止め、結局滞在延長を余儀なくされた。

「埼玉にいなかったので、あの揺れも体験していなければ様々な状況が分からず、家族や学校のことがとても心配だった。
東北地方の方々の被災状況を知るにつれ心が痛んだ。だからこそ、一日も早く何かしたかった。」(野球部 森監督)。

そんな野球部の思いから実現した震災ボランティア活動。
本校と石巻市との関係から石巻市立北上中学校を拠点とする計画は、車中2泊を含む3泊4日の強行軍で計画された。
車中(バス)泊を選んだ理由は、充分な宿泊先が確保できないこともあるが「長時間かけて甲子園応援に来て下さる方の気持ちを
自分たちで体験させてもらいたい」という監督自らの思いも組み込まれた。

今回の活動は独自の目的達成はもちろんのこと、石巻市立北上中学校生徒さんとの清掃活動、石巻市立鹿妻保育所児童の皆さんとふれあい交流、
最終日には先日浦和学院に遊びに来てくれた鹿妻・子鹿スポ少野球チームとの合同練習もメニューに組み込まれ、
勝つために必要なコミュニケーション習得も相手の立場になって行動することで身に付けられる貴重な体験も組まれていた。

21日14時 寝袋や表示された物資や食糧の荷物積み込み、事前指導では支援活動の全容を把握に努めた。

22時 学校集合。食堂にて事前指導。ボランティアの心構えや被災地の状況を再確認した。

23時 生徒36名、教職員5名で出発。

22日6時 東松島到着、夜明けと同時に東松島市野蒜地区の被災地視察。前夜の雪も残り寒さは厳しい。
3.11の状況がそのまま残り。生徒・スタッフも生々しい状況に言葉もない。

8時 石巻市入り、石巻専修大学様の協力により学食利用、その後ランニング。
別行動の小沢校長と合流、激励を受ける。

10時 鹿妻保育所。園児さんとふれあい交流。クリスマスカードプレゼント。
大震災から9ヶ月、だんだん子どもたちは元気に…。今日もいつものように歓待してくれた。
小崎先生と森先生は、生徒たちより率先してパフォーマンスを披露
森先生は、両手でピアノを引きはじめ一曲披露した。

鹿妻保育所の園児さんからは、ドラえもんバッチが…。
浦学から鹿妻保育所へのクリスマスプレゼントは。お菓子袋と特製クリスマスカード。

12時 女川町~石巻市雄勝町視察。想像を超える被災状況に車内での弁当も進まない。
女川町では、町営野球場に仮設住宅が建てられ、雄勝町ではビルの上にバスが…。

13時 石巻市立大川小学校。全員で手を合わせ、「安らかに眠ってほしい」と祈る。
生徒たちの表情から、それぞれの思いの複雑さが伝わってくる。
また、登米市南方翔裕園 真壁施設長・進藤事務長の出迎えを受ける。

対策本部 車谷は3回目の大川小学校である。お子様を亡くされたお母さんとお婆ちゃんに毎回出会う。
お互い目があって、会釈はするのだが、まだ声をかけることができない。
お婆ちゃんが慰霊碑の周囲をいつもいつもきれいに片づけている。
今度は声をかけてみたいが、適切な言葉が見つからない。まずは「こんにちは」と言ってみたい。

14時 北上中学校到着。
ア.全校生徒さんとふれあい交流。ジェットヒーターなどを差し入れ。
野球部監督 森先生が北上中学校全校生徒さんへ挨拶
野球部明石主将から
生徒会長の佐々木真智子さんへ
一、ジェットヒーター1台
一、国語・英語の辞書など
(本校、教科指導部より)
一、軟式野球ボール5ダース
(協賛:埼玉スポーツ)
イ.全校生徒さんと班別行動で校舎内の引っ越しや清掃活動。

北上中学校は、高台にあるため津波の被害は免れたが、校舎の損壊状況は厳しく、使用できない教室が多く発生。
この日は、一時的に使用していた教室から本来の教室に引っ越しをする作業がメインとなった。
「力仕事になら任せて」と、野球部員は精力的に動いていた。

16時 グラウンドでランニング・体操等を帰宅開始の生徒さんに「浦学らしさ」を伝える。
「どんな支援物資以上の元気をいただけた。生徒たちにとって何よりの模範行動でした。」(北上中学校の先生)との評価をいただいた。

17時 宿泊教室への荷物整理
(移動、入浴・食事)

20時 畠山校長先生のご厚意で「震災ビデオ」視聴等の勉強会、校長先生から
たくさんの貴重な体験談などのお話をいただけた。
生徒たちは真剣にメモをとり2時間以上の勉強会に集中した。
勉強会後、一日の反省会・ミーティング 就寝は視聴覚教室を用意して下さった

23時 消灯

23日06時 起床、散歩、ランニング・体操。

07時 弁当につける「味噌汁」を地域野菜で作る。少しでも日々と違う体験をする。

08時 ボランティア活動出発。
吉浜小学校視察。実際の建物の中に入り、震災当日の生々しい状況を体験した。
生徒さん他40数名が屋上で「焚火して一晩明かした現場」を自分たちの目で確認した。

(9時~15時 北上地域のボランティア活動、重機で取れきれないがれきの回収)
※教職員スタッフ2名は、陸前横山駅前で行われた「南三陸町仮設住宅炊き出し」応援。

メインのボランティア活動開始
富岡野球部長、森監督も率先してがれき拾いを行った。
野球部に課せられたボランティア活動は「がれき重機処理後のゴミ拾い」。
重機では取りきれない危険物やゴミを手作業で一つひとつ麻袋に入れていく地道な作業だ。
日本刀や写真アルバム、箱の中から現金も見つかった。
石巻市街地はたくさんのボランティア(「石巻モデル」という)で復旧が進んでいるが、
市街地から一時間以上離れたここ北上・牡鹿・雄勝などは、まだまだたくさんの「人の手」を必要としている。
石巻市北上支所 今野室長様やボランティアコーディネーター遠藤様に北上中学校から
5分の旧住宅地が作業現場として用意していただいた。

多くの貴重な写真やアルバム、現金などが見つかった。
畠山校長先生も、底冷えのする寒さの中、本校生徒たちと一緒に作業をして下さり、声をかけて下さった。
一つの目的が達成。寒さの中の5時間はとても辛いものだったと思う。
20tのゴミを集めてくれた野球部員に敬意を表したい。

15時 北上中学校の利用した施設の清掃。

16時 北上中学校出発。畠山校長先生と見えなくなるまで手を振りお別れした。

石巻市立北上中学校で過ごした2日間もこれでお別れだ。
畠山卓也校長先生には、祝日にもかかわらず本校野球部と寝食を共にしていただき、誠心誠意接していただいた。
到着時・勉強会・お別れと三度お話をしていただく機会があったが、畠山校長先生は「現地を自分の目で見ていただきたい。
そして感じとって伝えてもらいたい。」と繰り返した。

最後の挨拶では「ボランティアは高校生の本分ではない。今、目の前にあることを放ってボランティアをする必要もない。
ボランティアをしたことの経験が、今自分が志す(学生なら学生らしく、野球なら目標に向かって)ものの何かを得るきっかけとなり、
自分を見つめ直す一助になれば素晴らしいことだ。石巻のことを忘れずに伝えて欲しい。」と話された。

最後に畠山校長先生は、対策本部の車谷に「野球部の生徒さんはとても礼儀正しく素晴らしかった。
きびきびした行動は、どんな物の支援よりとても素晴らしかった。
そして、野球部の生徒さんが『卒業しても石巻に来ます。』と話してくれたことがとても嬉しい。
ありがとうございました。」との言葉をいただいた。

中学校の校長先生と本校生徒が握手し、先生が頭を下げて下さる光景など普通ではあり得ない。
しかし、大震災の活動がきっかけとなり、浦和学院は東北の方々からたくさんのエネルギーと
心遣いをいただき貴重な教育の場を得ることができた。
教科書では学べない大切なことを生徒たちは学んでいる。
(入浴・食事)

19時 鹿妻小学校。先日来校した「子鹿クラブスポ少野球チーム」と再会。
鹿妻小学校体育館にて、野球練習を通じたふれあい交流。

浦学・鹿妻・子鹿クラブ 規律正しい 元気集団と再会
北上から鹿妻小学校まで25㎞、日和大橋を抜け信号はほぼ復旧しているものの街灯はない。
海岸に近い鹿妻・渡波地域は、一階が全滅しているため居住されている方も少ない。とにかく暗い。
バス内の生徒たちの様子は「子鹿クラブはここから来たのか」(先日の浦和訪問)と沈みがち。
森監督の「最後の仕事をしっかりしよう!」で体育館に入ると、満面の笑みで私たちを迎えてくれた。とにかく規律正しい。
指導者・保護者の教育が行き届いた好チーム。「何かしてあげたい」と、心から思えるチームだ。
お互い子どもたちは、「明石君、佐藤君」「あいり、るーく」などと親しく呼び合う。
二週間前の訪問時に不在だった森監督は、自ら「厳しく楽しく」精力的に動いた。

浦学生とブラジル体操、柔軟、ダッシュ、キャッチボールなどの練習をこなした。
少年野球ながら練習着に着替え、週4回活動しているという。

森監督の指導に真剣に耳をかたむける子どもたち
子どもたちからは、浦学3年生宛に手紙が託された

浦学からは、訪問した際の写真集を「絆CD」にして一人ひとりにプレゼントした

両チームで体育館を清掃
阿部代表・津田監督から浦学生に挨拶をいただく
体育館ステージには、先日プレゼントしたリックサックが整頓して並べてあった。
浦学全校生徒の義援金がこのように有効的に使われ、 相手方も大切にしてくれていることを報告したい。

21時 鹿妻小学校出発。石巻市を後にする。

24日03時 学校到着。

このように過密スケジュールを消化し、森監督は「教師生活22年間の合宿の中でも、
一番内容のある密度の濃い活動となった。
生徒たちは大変貴重な体験をさせていただき、得るものが大きかった。
自分たちの足らなかったものが実体験で学べることもできた。来年以降も必ず来たい。」と話す。

本校のボランティア活動は、単なる清掃活動やがれき処理だけではない。
それらにプラスアルファして「被災地の状況を肌で感じ、何ができるか考え、行動する。」という校長方針のもと、
石巻の方々との交流を大切にしている。

プロジェクトのスローガン「笑顔・希望-明日へ」へは、生徒たちの積極的な行動から「本気で接する」が
相手に伝わり実現できているものと確信する。 そしてこの活動は、「被災地を物資と気持ちを届ける」から始められたが、
「本気の行動が相手に伝わり、今となっては被災地の方々から数倍以上のエネルギーをいただいている。」と
言っても過言ではない。
大震災から9ヶ月、平成23年が終わろうとしている。被災地東北の方々の明日は幸多かれと祈りたい。

●入浴先でのいい話 道の駅「上品の郷」石巻市民の方々から次のような言葉をいただいた。
「生徒さんたち素晴らしいですね。浴室の脱衣所の床を拭いていました。
私たちにも丁寧に挨拶して下さり素晴らしい生徒さんたちです。
先生方の躾が良いのだと思います。宮城のためにありがとうございます。」

御  礼
今回もたくさんの心ある方々の協力により本校の活動が安全に円滑に行うことができました。
東北の方々の温かい人情に触れさせていただき、この活動を通してさまざまことを勉強させていただいております。
紙面をお借りして御礼申し上げます。

応援活動報告 南三陸町仮設住宅炊き出し

12月23日野球部が石巻でのボランティア活動中、登米市津山町陸前横山駅前でNPO共生フォーラム主催、社会福祉法人元気村後援の
炊き出しが行われていた。対象は单三陸町から仮設住宅に移住されている方々だ。
浦和学院では、この活動への応援参加は3回目となる。石巻北上から30分弱という立地にも助けられ、
野球部森監督、対策本部車谷、学校からは、浜口高校事務長も駆けつけ300食のトン汁やおこわの配布を手伝った。
全国的に知名度の高い森監督は、サンタクロースに変身、東北の子どもたちに満面の笑顔でお菓子などを振る舞っていた。
いつもながらに元気村グループの皆さんの段取りの良さ、結束力に脱帽するばかりだ。

浦和学院高等学校東日本大震災対策本部

浦和学院高校公式サイトにはこの記事と共に、24ページにわたって活動記録写真が掲載されています
是非ご覧下さい
石巻市民との交流に感謝
小沢校長2回目の石巻 亀山市長と面会

東日本大震災のさまざまな活動を通じて交流が深まった石巻市。
本校が石巻市を訪れた回数は9ヶ月で12回、また石巻市民の子どもたちを浦和学院に招待した回数は2回となっている。
浦学ふぁみり~から集められた義援金は、直接被災者の方々に「その時に必要な物資の提供」を心掛けてきた。
生活用水等の身近な生活用品に始まり、保育園児にはサイズの合った靴、中学生には参考書や思い出深い図書を
一人ひとりからの要望を聞き取りタイムリーな時期に行ってきた。

反面さまざまな活動を通じて「本校生徒たちが石巻市民の皆さんから受けたたくさんの教育効果は計り知れない」(小沢校長)と
時折々に話している。
また、石巻においては、「浦和学院という一つの団体がここまで積極的な直接支援をして下さることに驚いているし、
数少なくなっている継続的な支援に心から感謝している。」
(伊東孝浩氏石巻専修大学同窓会長・石巻災害復興支援協議会)という双方の思いがつながった形となった。

このたび浦和学院高校は、石巻市に対し教育活動普及を名目とした義援金100万円、
社)石巻災害復興支援協議会には復興支援活動義援金として200万円の支給を決め、12月22日小沢理事長・校長が石巻市
役所を訪れ、亀山紘市長との面会が実現し、義援金と目録を直接手渡した。

亀山市長は議会を控えた多忙中にも関わらず、丁寧に対応して下さり浦和学院高校の支援活動の冊子を
ゆっくりご覧になり「石巻の子どもたちに、こんなにたくさんの笑顔をいただいたのですね。やはり子どもは宝ですから」と
浦学の活動に改めて御礼を述べられた。
また「大震災は非常に悲しい出来事だったが、全国の方々に助けていただいた。
中でも若者が率先してボランティア活動してくれたことに見直した部分もあり、日本の将来に光明もある。」と話され、
小沢理事長・校長が日頃から校内に示している話と多く共感される部分があった。
今回の面会は、伊東孝浩氏をはじめとする「石巻浦学ふぁみり~」の皆さんの手で実現したが、
石巻へのボランティアは10万人を超えた中で、石巻市長から直々に御礼をいただけたことは
本校にとっても誠に喜ばしいことである。

石巻市役所~災害復興支援協議会(石巻専修大学内)~鹿妻保育所へ精力的に動かれた小沢校長。
前夜の雪も平地では溶け行動に支障はなかった。
最後の訪問地、鹿妻保育所。小沢校長の石巻市訪問と同日、夜行バスで現地入りした野球部。
園児たちと野球部員が笑顔で遊ぶ中、小沢校長が声をかけて下さり、
22日~24日までのボランティア活動に対し激励を行った。
東日本大震災
浦和学院野球部  宮城で支援活動

東日本大震災の被災地を支援しようと、浦和学院高野球部の36人が22・23日の両日、
宮城県石巻市を訪れ、宅地跡のゴミ拾いなどのボランティアを行った。

同校が続けている復興支援プロジェクトの一環で、森士監督も参加した。部員らは21日夜にバスで同校を出発。
23日は、津波の被害にあった同市北上町十三浜の北上中学(畠山卓也校長)周辺でゴミを拾った。
夜には、今月中に同校に招待して交流を深めた「鹿妻・子鹿クラブスポーツ少年団」と、共に練習に取り組んだ。

浦和学院の明石飛真主将は「現場はテレビで見るのとは全然違った。貴重な経験をさせてもらった。つらい思いをされながらも、
立ち上がろうとする姿を学ばせてもらった」と話していた。
一方、畠山校長は「実際に来てボランティアをしてくれたことがうれしい。見たこと、感じたことを
今後の生きる糧としてほしい」と感謝していた。

2011年12月24日 毎日新聞埼玉版掲載
「笑顔・希望」-明日へ 鹿妻子鹿クラブ 総集編
12月9日~11日まで石巻市鹿妻・子鹿クラブスボ少野球の子供たちが来校されました。その様子をご覧下さい。
尚、石巻に帰った翌日からの練習では子供たちが意識的に動き、さらに野球に取り組む姿勢に変化が現れているそうです。

◆活動の様子 全18ページ

◆卒団式とさよならパーティーで読まれた作文
こちらから
浦学、石巻の少年チームと交流
野球で広がる笑顔の輪
浦和学院高校(さいたま市緑区)は東日本大震災の発生直後から、被災した宮城県石巻市を中心に支援活動を続けてきた。
震災から9カ月を迎えた9~11日には、同市の少年野球チームを招いて野球部員と交流した。

目輝かす子ども「甲子園めざす」
「元気出していくぞ」 「はい!」
10日、野球部の練習グラウンド。小さなユニホーム姿に、野球部員の激励が飛んだ。

子どもたちは同市鹿妻(かづま)地区の「鹿妻・子鹿クラブスポーツ少年団野球」の小学生22人。
震災後、浦和学院がスパイクを寄付したことがきっかけで交流が始まり、
「野球を通して元気づけたい」と企画したという。

甲子園常連の強豪校だけあって、子どもたちには憧れのお兄ちゃんたち。
はじめは緊張していたが、一緒にボールを追いかけ、グラウンドを走り回ると、すぐに笑顔が広がった。
部員は手を取ってわかりやすく投げ方を教えたり、プロ野球選手の物まねを交えて笑わせたりした。
2時間の練習はあっという間に終わり、歓声が絶えなかった。

続いて学生食堂で行われた歓迎行事では、吹奏楽部やソングリーダー部など約170人の生徒とも交流した。
浦和学院の応援曲が披露されると、子どもたちは「かっこいい!」と目を輝かせていた。

鹿妻地区は海に近く、大津波の被害が大きかったという。チームでは、子どもたちのうち半数が自宅を失った。
グラウンドは水没し、練習できない日々が続いていた。

参加した阿部鳳稀(ふうき)君(11)は「大きくなったら浦学野球部に入って甲子園を目指したい。
そして自分も困っている人を勇気づけたい」。
チームの津田一浩監督(59)は「震災後、一番いい笑顔を見せていた。
いつか恩返しさせていただきたい」と話した。

野球部の森光司君(3年)は「みんな本当に楽しそうに野球をしていた。
初心に帰り、野球を楽しむことが大事なのだと改めて気づきました」と話した。

震災直後から支援 校内で募金集めも
浦和学院高校は震災直後に大震災対策本部を設置。交流のあった石巻市の石巻専修大学を拠点にし、支援活動をスタートさせた。
生徒は、自主的に校内で義援金を集め始めたという。

これまでに、断水した地域に生活用水を供給できるように散水車を送ったり、6月には東松島市のサッカー少年団を招待したりした。
また、鹿妻・渡波保育所などにサイズのあった運動靴を届けるなど交流を深めてきた。

一方、部員数が多い野球部は、「浄財とエネルギーを被災地へ」という方針を決め、今年3月の選抜高校野球大会では応援を自粛。
4月にはOBらから集めた野球道具を岩手県の高校球児に寄付した。

2011年12月13日 朝日新聞埼玉版掲載
「笑顔・希望」-明日へ 鹿妻子鹿クラブ 浦学で楽しく過ごす
12月9日~11日の2泊3日、石巻市鹿妻地区を活動拠点とする子鹿クラブスポ少野球チームを本校合宿所に招待し、
思う存分に過ごしていただく企画を行った。

支援活動と同様に生徒・教職員などから集められた「浦学ふぁみり~義援金」で運営されている。

お断り
関係者の協力により企画は大成功。撮影した写真は2000点を超えており、トピックス編集に時間を要しています。
石巻の子供たちはもちろん、本校生徒のとても素晴らしい態度、笑顔を存分に紹介する予定です。

東日本大震災対策本部 野球推進部 生徒活動部 生徒指導部 企画部
浦和学院高
白球通して支援活動
野球部22人 石巻の子どもらと交流

東日本大震災で大きな被害を受けた野球少年を元気付けようと、浦和学院高が10日、
宮城県石巻市の鹿妻・子鹿クラブスポーツ少年団野球の子どもたちを招き、同校で交流会を開催。
9~11日まで2泊3日の合宿で、野球部の選手らと白球を通して親交を深め合った。

招かれたのは同スポーツ少野球の小学生22人と阿部日出喜代表、津田一浩監督らスタッフ19人の総勢41人。
同チームは練習場所の鹿妻小学校グラウンドが1メートル以上の津波で水没。
子どもたちの約半数が自宅を失って避難生活を余儀なくされ、肉親を亡くした児童もいた。

浦和学院は震災直後から学校を挙げ、縁がある石巻市を中心に独自の支援活動を展開。
支援物資を送り、義援金を集めるほか、6月にサッカー少年団を招いて交流した。

この日は野球部の3年生22人がキャッチボールやトスバッティングなどを一緒に実施。
歓迎式ではソングリーダー部、吹奏楽部が演技を披露した。

鹿妻の主将で5年生の佐藤菜々美さんは「声が大きくて面白くて元気があって楽しい」と浦和学院の選手たちに感激。
同じく副主将の青山愛理さんは「(震災で)あんなつらい経験をしたけど、こんな楽しい経験もさせてもらえた」と喜んだ。
阿部代表は「高校生が本気で子どもたちに向かい合ってくれている姿がうれしい」と感謝した。

野球部の小林賢剛選手は「最初はどう接していいのか不安だったけど、きょう初めて会った感じがしない」と、
子どもたちとすぐに打ち解けた様子。
野球部の高間薫顧問は「これからも社会貢献できるようなことをやっていきたい」と交流の意義を実感していた。

2011年12月11日 埼玉新聞掲載



東日本大震災
浦和学院高 被災児童らと交流
復興支援に野球部員参加
浦和学院高校は10日、東日本大震災で被災した宮城県石巻市の「鹿妻・子鹿クラブスポーツ少年団」の小2~6年までの
選手ら22人を同校に招待し、交流を深めた。同校が続けている復興発展支援プロジェクトの一環。

同校野球部員22人が守備練習やトスバッティングなどを小学生と共に取り組んだ。
キャッチャーの青山愛理副主将(小5)は「ピッチャーのいいところを見つけることの大切さを知った」と笑顔を見せた。

同少年団の選手たちの大半が家を失った上、練習場だった鹿妻小は避難所となり野球が出来るようになったのは5月上旬だったという。
佐藤菜々美主将(小5)は「全国の皆さんから支援をもらった分、頑張らないといけない。これからも野球を続けたい」と話した。

2011年12月11日 毎日新聞埼玉版掲載
第9回被災地支援、小沢校長現地入り
11月8日・9日・10日の3日間、小沢校長以下3名が被災地石巻周辺地域を訪問し、生活物資の支援から
心のケアに役立つ支援に切り替え、現地の方々と交流を重ねました。小沢校長は初の被災地入りとなり、
過去8回の活動の御礼を主な目的として行いました。
今回の支援物資につきましても、浦学ふぁみり~の方々からいただいた貴重な義援金から支出させていただき、
目に見える形を実行させていただきました。


※現地入りされたレポートや、小沢校長のメッセージが公式サイトには掲載されています

浦和学院高校 公式サイト 第9回被災地支援
散水車ふたたび石巻へ
被災地へさまざまな活動を展開している浦和学院。
震災直後、石巻市へ本校所有の散水車を派遣しました。断水の市内へ生活用水の供給、石巻駅周辺清掃にも使われ、
3ヶ月間の奉公を終え、一旦帰校しました。今般、現地の需要に合わせ、10月より来年2月までの再派遣を決定しました。
被災地皆様のお役にたてれば何よりです。

そして、10月1日被災地石巻専修大学様の佐藤事務課長、酒井硬式野球部監督が復興支援のつながりで、
散水車の引き取りに浦学を訪問して下さいました。

7時間の道のりを散水車は北へ向かいました。

企画部
「B級グルメ 石巻やきそば」文化祭来店!!
10月8日 土曜日 文化祭 一般公開日
石巻より浦学生へ感謝の気持ち
B級グルメの「石巻やきそば」、浦学訪問決定。

浦学が支援した方々が浦学のために焼きそばを作ってくれます。
また、食堂業者の富士食品商事様が「登米の郷土料理、法度汁(はっと汁)」を100円にて販売、
全額チャリティーの協賛をして下さいます。
本校生徒会のチャリティーバザーと並べて営業致します。一般の方々にも多数ご来校いただき、被災地を応援しましょう!!

東日本大震災における浦学の復興支援活動のテーマは、「笑顔・希望」-明日へ。
それを実現するために、被災地とのパイプを強化してきました。そして、その時期に合った支援を行ってきました。

しかし、被災地の声として、「夏休みが終わって、支援が切れてしまうかも…」。
「子供たちは元気が出てきましたが、大人は先が見えず大きな不安が…」。
「仮設住宅の生活が始まったが、家財道具が何もない…」。
「大きな校庭で運動がしたい…」。(小学生)

浦学ふぁみり~義援金が1,523,704円になりました。
今後も「現地の方々が求める 息の長~い支援」を展開していく予定です。

これから秋から冬にかけて、「被災地の子供たちを浦学に招待 第2弾、3弾」を予定しています。
そのために、生徒会が立ち上がってくれました。生徒が企画する「文化祭のチャリティーバザー」。

まずは、ご家庭の不用品(未使用のもの)をお譲り下さい。
そして、文化祭当日は是非バザーにお出かけ下さい。
今、私たちにできること
「今、浦学にできること」 南三陸町炊き出し応援報告
9月25日、登米市にある南方翔裕園様主催、NPO共生フォーラム様、社会福祉法人元気村様が協賛する
南三陸町仮設住宅にて炊き出しボランティアが行われました。
南三陸町は起伏が多い土地柄のため、内陸部にある登米市内に仮設住宅が作られているそうです。
浦和学院高校では、生徒ボランティア等でお世話になっているつながりから、
今回の支援活動に職員2名を派遣応援させていただきました。

参加した事務部小川三郎、鈴木彩は初めての被災地入りで、現地の過酷な状況に複雑な思いを募らせています。
大震災・津波のあとに襲った台風15号の影響を目の当たりにして、帰校しました。
現地での活動を本人取材より報告させていただきます。

詳細は浦和学院高校公式サイトをご覧下さい
東日本大震災 「今、浦学にできること」
白翔祭チャリティーバザー
東日本大震災復興支援チャリティーバザー開催


ご自宅に不用なものはございませんか?
10月8日(土)、浦和学院高等学校の文化祭「白翔祭」では、この度の東日本大震災の復興支援として
チャリティーバザーを開催致します。
皆様のご自宅で不用になったもの(未使用品)がございましたら、是非浦学へお譲りください。
ここでの収益は全て今後の被災地復興支援に使用して参ります。
また、残った品物についても、責任をもって被災地へお届け致します。

チャリティーバザーでは…
・生徒たちによる不用品の販売
・浦学グッズの販売
・お煎餅の割引販売
・スポーツ用品の割引販売
・食堂にてチャリティーメニュー他

受付:9月20日(火)~10月5日(水)まで
事務室窓口(営業時間AM8:30~PM5:00)までお持ちください。
※不用品は未使用のものに限りますので、ご注意ください。

お持ちいただいた方には、お煎餅(袋物)を差し上げます。

お問い合わせは、以下の電話番号までお願い致します。
℡048-878-2101 担当:企画部 河野
東日本大震災 「今、浦学にできること」
科学の祭典 参加報告


8月20日・21日、石巻市にて開催された科学の祭典に参加させていただきました。
石巻市への生徒派遣は初めてとなります。
是非活動状況をご覧下さい。

被災地では復興は進んでいるものの、夏休み後に支援が途切れることを懸念しています。
浦和学院高校では、引き続き「今、浦学にできること」を継続してまいります。

※浦和学院高校公式サイトで、今回の活動に関しての記事が掲載されています。是非ご覧下さい

科学の祭典 参加報告
東日本大震災 「今、浦学にできること」 8/11
科学の祭典石巻大会参加


東日本大震災発生以降、本校は宮城県石巻周辺地域に限定し、石巻市・東松島市・女川町・登米市等々へ
さまざまな被災地支援を展開してまいりました。
このたび、石巻専修大学様主催、文部科学省・宮城県他多数後援の「青少年のための科学の祭典 石巻大会」に
参加要請をいただき、ボランティア活動報告並びに当日も以下の出展をさせていただくことになりました。

「新しいボランティアの取り組み」として、このような機会を与えていただき、浦和学院高校では、
生徒・教職員の現地支援班を結成し、全面的にバックアップをさせていただき、被災地の子供たちの明日が、
少しでも明るく幸せになれるようお手伝いをさせていただきます。

◆開催会場・日時
宮城県石巻市 サン・ファン館(宮城県慶長使節船ミュージアム)
平成23年8月20日(土)・21日(日)

◆出展班編成
1.被災地における携帯型心電計による測定、災害関連死予防 保健医療クラス
2.災害における防災豆知識、楽しく遊ぼう、ロープワーク!! 山岳部
3.石巻周辺地区でのボランティア活動報告(展示) 対策本部

浦和学院高校公式サイトより転載
東日本大震災 「今、浦学にできること」 8/8
女川復興祭への参加協力


大震災発生以降、宮城県石巻市を中心に支援活動を展開する本校。
このたび縁あって、女川復興祭へのボランティア活動に参加する機会がありました。
本校生徒たちは、このお祭りを盛り上げるため1ヶ月前より千羽鶴の作成や七夕短冊の作成を担当し、
自分たちの思いを被災者の方々へ伝えることができました。


浦和学院高校の公式サイトにて「女川復興祭」の模様が紹介されています
是非ご覧下さい!
東日本大震災 「今、浦学にできること」 ボランティア報告

平成23年7月25日~27日 2泊3日で行われた、保健医療クラスによる被災地でのボランティアの活動報告が
浦和学院高校公式サイトで公開されています
是非お読み下さい
東松島市 FCインパルス 総勢46名 浦学に!

浦学ふぁみり~~「思いをカタチ」に、被災地直接支援
生徒・教職員・保護者の会・同窓会・後援会 義援金総額1,301,207円(6/24現在)

浦学は、どこよりも先に被災地の子供たちを埼玉に招待した。
大震災以降、石巻市への物資支援から、浦学独自の「復興発展支援プロジェクト」を発足させ、
現地のニーズに応えたものだ。学校教育という立場から、保育園児に「サイズに合った靴」を送ったり、
運動する場所がない子どもたちを恵まれた浦学の学校施設へ招待する企画を考案した。
石巻市に隣接する東松島市も海岸一帯は、大きな津波の影響を受けた。被害を受けていない
学校や公園は、がれき置き場、死体安置所、仮設住宅、自衛隊駐屯地となっている。
「子供たちはどこで遊ぶのだろうか」「部活動をするのだろうか」「プールは入りたくないだろうな」。
そんな思いが現地の支援活動から得たヒントとなった。
被災地に赴くだけがボランティアではない。多くの本校生徒が活動し、何かを感じ取ってくれるなら、「浦和へ招待しよう!!」。
小沢校長をはじめ大勢の幹部が二つ返事で快諾してくれた。
「やるからには、最大限の準備で迎えてやろう」という動きが始まった。
4月下旬から準備を始めたが、事は簡単ではなかった。希望するチームや団体は多い。
しかし現実となると、夏休み期間は日程が合わなかったり、
親が同伴できず不安がったり、原発地域を通過することの不安もあったようだ。
野球を推進している本校としては、石巻市内の高校にも声をかけたが、亡くなった生徒などもおり実現には結びつかなかった。

「避難所などで生活し、一日でも布団の上に寝かせてあげたい。なるべく支援が届かない所に手を差し延べたい。
数ヶ月経過すると、求められることが変わってしまうから」。
ここでも、石巻専修大学同窓会会長の伊東孝浩氏(FCインパルス監督)が動いてくれた。
「私も津波で家も車も流された。選手は石巻・東松島市にまたがり、家が全壊した選手が多数含まれている。
浦学さんで子供たちを励ましてもらいたい。」と第1回目の招待が実現した。このことがきっかけで、石巻市内の少年野球チーム。
そして、女川町からは、災害対策本部を通じて子供たちの活動場所確保の依頼が多く集まっている。
「FCインパルス」サッカー少年団一行(選手28名、家族18名)は、6月24日午後5時、東松島市コミュニティセンターに集合、出発した。
途中、国見・那須高原で小休止、車内で夕食弁当をとり、午後10時30分、5時間をかけて浦学に到着した。
本校は節電中であったが、待機していた事務職員6名が、到着10分前に校舎を全灯、明るく照らされた校内に迎え入れた。
合宿所へ入った子供たちは、興奮からか元気いっぱい。深夜0時を過ぎても、浦学合宿所内は笑い声が絶えなかった。
明日は、歓迎の会、練習、埼玉スタジアムへの見学が予定されている。一行は、26日14時まで滞在する。(明日へ続く)

裏方さんがこんな準備をしてくれました。
6/26の練習試合会場となる浦学前のさいたま市立野田小学校様
快くグラウンドの提供と「歓迎の看板」を立てさせて下さいました。

6/25歓迎セレモニーの会場となる浦和学院食堂。既にお土産と名前入りのサッカーボールが待つ。
お風呂もピカピカ。「気持ち良く使ってもらいたい」と、事務職員の皆さんが清掃してくれました。

そして、陸上グラウンドに隣接する浦和学院高校合宿所。
深夜までとても楽しそうな声が響く。
みんなの思いは一つ。来てくれてありがとう。
少しでも辛いことや悲しいことが癒されれば何よりです。
6/24~6/26 14時まで滞在しています。
皆様の温かいお声掛けが、元気につながります。

明日、25日は「さいたま市立野田小学校サッカー少年団」
「浦和学院高校生徒会、サッカー部、コーラス部」の皆さんが激励に訪れてくれます。
明後日、26日は「川口 慈林サッカー少年団、蕨 錦サッカー少年団、さいたま 大東サッカー少年団」と練習試合をします。

東日本大震災対策本部

東松島市の子供たち 浦学滞在2日目
~野田小、浦学サッカー部、コーラス部、埼玉スタジアム、多くの人たちとの1日~


昨日も興奮冷めやまず遅くまで合宿所からは笑い声が聞こえていたにもかかわらず、子供たちの朝は早い。
朝7時半過ぎ、職員が合宿所に朝食の迎えに行くと子どもたちは既にかくれんぼで遊んでいた。
話によると、その以前に早朝散歩がてら埼玉スタジアムに行っていたということだった。
本当に子供たちは元気だ。

8時からの朝食は、スクランブルエッグやハム、サラダ、バナナなどといったメニュー。

朝食を済ませ、より元気いっぱいになった子供たちは合宿所に戻る前にサッカー場を下見して回った。
すると練習試合のため野球場にいた野球部から激励の挨拶を受けた。サッカー場の下見を経て
合宿所に戻り、次はいよいよサッカー練習だ。
練習着に着替えた子供たちはサッカー場に向かうバスの中でも終始そわそわ。
そしてサッカー場に着くと、すぐさまサッカーボールを蹴り元気いっぱい走り始めた。

昼食を兼ねた歓迎会では、招待したFCインパルス46名、近隣の野田サッカー少年団と保護者の皆様45名、
代山自治会会長以下3名、生徒会3名、サッカー部25名、コーラス部13名、教職員9名の150名を超える会となった。
生徒活動部の長岡部長の「ようこそ、浦和学院にお越し下さいました。」の開会で始まり、
浦和学院が2400名の大きな学校と知ると、想像を絶するような顔つきで、話に耳を傾けていた。
続いて、川島仁志生徒会長からは「これからも大変なことがあっても、頑張って下さい」と挨拶した。
食事はオムライスと唐揚げサラダ。ある子は「ねえ、いつもこんな美味しい給食なの?」と
浦学生は毎日こんな美味しい給食なのかと不思議そうであった。
会が進行すると、サッカー部を代表して2年K組佐藤大知(さいたま市立尾間木中学校出身)ら2名からサッカー部父母会様からの
チーム名入りサッカーボールと専用袋が手渡された。
FCインパルス主将大橋 力君は、「僕たちのためにこんな会を開いていただいてありがとうございました。」と返礼した。

浦学の地元、野田小学校からは野田サッカー少年団の仲間が、FCインパルス激励に訪れた。
皆でお金を出し合い、浦和レッズのナップザックと文房具を40組もプレゼントしてくれた。
浦和美園地区スポーツ・文化推進委員長の横山氏は、「浦学の取り組みはとても素晴らしい。
野田小学校の生徒も是非参加させて欲しい。」と積極的に参加して下さった。
そして、ビッグなプレゼントと4,000円の義援金を学校募金箱に協力して下さった。
そして、浦学からはそんな野田小学校の選手たちにも「浦学特製タオル」をサッカー部員からプレゼントした。
「頑張る仲間をみんなで応援!!」スポーツのつながりから、お互いを敬い、応援する。とても素晴らしい光景だ。

ビッグなプレゼントは、運動部だけではない。心のこもったハーモニー、コーラス部13名が精一杯歌を贈った。
「ありがとうって伝えたくて…」聞いているだけで、涙が出そうな曲である。会場からは大きな拍手で包まれた。
閉会は、大震災翌日から生徒募金活動を提案した生徒指導部の小茂田部長。
今回、元Jリーガー浦和レッズGKの都築選手招聘を調整し、浦学にしかできないイベントも実現した。

午後からは、サッカー場に移り、野田サッカー少年団、サッカー部と合同練習となった。

そして、楽しみにしていた埼玉スタジアム2002の見学
本校から車で5分のスタジアム。子供たちは、選手団入口にバスを横付けし、選手ロッカーに。
好きなユニホームを着用し、音楽に合わせてピッチに上がった。
たまたま、窓口が本校卒業生である入沢さん。とても親切な対応であった。

楽しかった2日目もあっという間に終了。明日は、3団体との練習試合を消化するため、バイキングで食べ放題。
子供たちには、とても好評のようであった。それでは、明日も怪我もなく。一行は14時に帰路につく。


最高の対応をしてくれた浦学生に「ありがとう!!」
~さいたま市・川口市・蕨市のサッカー少年団と試合、そして大満足して宮城~


「3日間って、短すぎる」招くほうも招かれるほうもそう思ったに違いない。元気の塊「FCインパルス」の滞在3日目を迎えた。
今日は、久しぶりに試合ができる。毎日練習を行っていた小学校のグラウンドが震災の影響で使用することができないので、
2ヶ月間思うような練習すらしていないのだそうだ。滞在中、子供たちは暇さえあれば、サッカーボールから離れない。
「きっと、サッカーをできる喜びを噛みしめているのだろう」。
浦和学院食堂の配慮もあって、今日の朝食は「サンドイッチ、ホットドッグ」、食事も飽きさせない。
小学生だから、浦学生の食べる合宿所食の半分も食べないが、美味しそうに食べている。
「今日は、こいつら勝つな」。間違いなく実感できた。
地元のさいたま市立野田小学校のグラウンドをお借りし、さいたま市大東サッカー少年団、川口市慈林サッカー少年団、
蕨市錦サッカー少年団の3チーム(本校卒業生が監督を務める)が集まってくれた。
試合前の練習では、サッカー王国埼玉のチームは組織的に練習しているが、インパルスは何となくマイペース。
しかし、試合は、FCインパルスが2勝1敗で戦いを終えた。
3チームの小学生は、準備期間が短かったにも関わらず、色紙にコメントを入れ一人ひとりに差し入れてくれた。
何となく照れ臭そうであったが、きっと「これからの励みになる宝物」だろう。ありがとう、埼玉の小学生。

試合結果
3年生以下FCインパルス1-5蕨市錦サッカー少年団
ベストメンバーFCインパルス2-0川口市慈林サッカー少年団
3・4年生FCインパルス2-1さいたま市大東サッカー少年団

「サヨナラの会」では、浦和学院高校から「URAGAKU」と「FCインパルス」の名前入りボールが寄贈

最後の締め方も浦学らしかった。生徒活動部長の長岡先生が会を進行し、「みんな、3回拍手をしよう!」。と音頭。
1回目は子供たちが立って、お互いの尊大に拍手。2回目は保護者の方々に立っていただき、子供たちから感謝の拍手。
そして最後は、頑張っている自分に拍手。素晴らしい最終の美だ。長年、バスケットボール部を率いる長岡先生の手腕だ。
こんな浦学が用意した環境に埼玉県内のチームのみんなも何かを感じ取ってくれたことであろう。

浦学の掲げた「復興発展支援プロジェクト笑顔・希望-明日へ」。
最後のバスの中まで、笑顔が絶えなかった。「疲れて眠るだろう」、とんでもない。
午後2時30分に浦和学院高校を出たバスは、順調に走り午後8時前東松島市に到着した。
街の照明が半減され、埼玉より相当暗い地域だが、その暗さを吹き飛ばすような子供たちの笑顔だった。
「元気を与えよう」ではなく、宮城の子供たちから「元気と笑顔」をもらったのは、私たち自身だ。
「やって良かった」、このイベント。本校生徒諸君(生徒会・サッカー部・コーラス部)やたくさんの人を
巻き込んでしまったが、浦学にしかできない、「今、浦学にできること」の達成感だ。
ありがとう、「FCインパルスの皆さん」。そして「浦学ふぁみり~の皆さん」。

東日本大震災対策部
生徒活動部
生徒指導部
事務部 ・企画事務部
6/24~6/26 東松島市の子供たち滞在中

東日本大震災で被害を受けた子供たちを、生徒・教職員をはじめとする「浦学ふぁみり~義援金」で招待しています。
原発被災者の方々を除けば、被災者の方々を埼玉へ招待する試みは、初めてかもしれません。
先日「報道ステーション」で古舘アナが話していました。
「被災地の子供たちを、夏休みに呼んであげればよいと...」。

本校は「浦学にしかできない支援」を4月から準備を進め、「頑張る仲間をみんなで応援」しています。


★今回の企画に対し、協賛をいただきました。
代山自治会様 金 1万円
さいたま市立野田小学校 グラウンド提供
野田サッカー少年団様 浦和レッズスナップザック・文房具人数分
金4千円
浦和学院高校サッカー部父母会様 サッカーボール・ボールケース
埼玉スタジアム2002 施設無償提供と格別の配慮
ドリームスポーツ(株)様 サッカーボール・ボールケース
元Jリーガー都築選手 激励訪問とサッカー講習会
喜多山製菓(株)様 製菓差し入れ
西武商事(株)様 清涼飲料水の差し入れ
三国フーズ(株)様 清涼飲料水の差し入れ
富士食品商事(株)様 お菓子の差し入れ

東日本大震災対策本部


※また、3日間の詳細活動に関してましては、3日分全ての記事が掲載されましたら、
このサイトでもまとめてお知らせしたいと思っています
宮城の少年チーム激励  伸び伸び一緒にサッカー
浦学高、生徒ら寄付集め招待


東日本大震災被災地の少年サッカーチームを元気づけようと、浦和学院高(さいたま市緑区)は25日、
宮城県東松島市の「FCインパルス」を招き、広いグラウンドで伸び伸びと、一緒にボールを追いかけた。

インパルスが練習に使っていた小学校の運動場は震災で使えなくなり、他のグラウンドも仮設住宅の用地などになっているため、
チームは現在、手狭な公園で活動しているという。
このことを知った浦和学院高が、生徒らが集めた寄付金でチームのメンバー28人と保護者らを2泊3日で招待した。

この日、インパルスのメンバーは、同校のグラウンドでサッカー部員や地元の「野田サッカー少年団」のメンバーと
合同のチームを組み、15分間のミニゲームなどを楽しんだ。

インパルスの5年生、木見尻寛人君(10)は「久しぶりに広い場所で、みんなとサッカーができて楽しかった」と
元気いっぱいグラウンドを走り回っていた。
サッカー部2年の佐藤大知君(16)は「少しでも明るい気持ちになってもらえればいいと思う」と話していた。

2011年6月26日 読売新聞掲載
東日本大震災 「今、浦学にできること」6/7
生徒・教職員・保護者の会・同窓会・後援会をはじめとした浦学ふぁみりー皆様からの義援金で購入した
運動靴・その他を5月30日から31日にかけて石巻市に直接届けました。

その模様が、6月1日読売新聞34面全国版にて掲載されました。

◆5月11日から6月11日までの動き
23.6.2 この活動に共感された松戸市在住の宮田様から1万円の義援金が届きました。
大変ありがとうございます。次の支援に使わせていただきます。

23.6.3 石巻市立鹿妻・渡波保育所から御礼のお手紙と園児皆さんからのメッセージが届きました。

23.6.3 宮城県立宮古商業高校から御礼のお手紙が届きました。

※手紙・メッセージ等は浦学公式サイトに掲載されていますので、公式サイトをご覧ください


「笑顔・希望」 明日へ 復興支援プロジェクト サッカー少年団招待
生徒・教職員・皆様から集められた大切な義援金は、少しでも早く正確に形にすることを目的としています。
ご案内の通り、5月30日の石巻市鹿妻・渡波保育園への「サイズに合った運動靴」を贈ることができました。

6月24日から26日まで、東松島市の「FCインパルス」サッカー少年団の皆さんを浦学合宿所へ招待致します。

浦和学院高校では、今年度中に被災者の子供たちを3回招待する計画です。
是非、皆様からの義援金、ご声援のご協力をお願いします。

6月2日現在 義援金 1,248 ,356円

東日本大震災対策本部
東日本大震災 「今、浦学にできること」5/31
園児たちの明日が明るく、幸せに!!
浦学ファミリ~「思いをカタチ」に、被災地直接支援
生徒・教職員・保護者の会・同窓会・後援会 義援金総額1,237,629 円(5/26 現在)
大震災翌日から飲料水や生活用水、燃料の支援を続けてきた浦学。
3月19日終業式から始められた義援金募金活動は、5月26日現在1,237,629 円となった。
生徒たちが震災から学ぶべきこと、そして「何か役に立ちたいという思い」はとても強く感じられた。
石巻市を中心に二回の被災地活動から、「多くの被災者の方々の声」を聞くことができ、「笑顔・希望-明日へ」という
復興支援プロジェクトを発足させた。
今回限りで終わらない、現実を風化させないことが大切な「息の長い支援活動」にしたい。
生徒・教職員・保護者の会・同窓会・後援会・地域の方々が
結束した「浦学ふぁみり~」の活動がスタートだ。
石巻市の支援活動については、既にご案内の通りである。

5月30日、義援金で購入した支援物資を石巻市立鹿妻保育所に届ける約束の日。
台風2 号が温帯低気圧に変わったものの、石巻市は観測史上最高の風速35mを記録する暴風雨となった。
走行中の車も大きく揺れる。復興が進む市内は、至るところが通行止めや冠水で被災者の方々の気持ちをさらに落ち込ませることだろう。
今回の支援隊は一般教職員も加わり総勢5名と浦学の活動に賛同してくれた取引先カメラマンの
川村剛弘氏(㈱クリエイティブアイズ)の6名で行った。
一番風雨の強い時間帯に支援物資を降ろさなくてはならない状況となった。

生徒会長の川島君がみんなに呼び掛け、男の子用・女の子用のメッセージをひらがなで書き、箱の中に1枚ずつ丁寧に入れられた。
生徒活動部の長岡部長、清水主幹が校内を取りまとめ、迅速な対応で支援活動を推進している。

みんなの思いは一つ。事務職員も物資調達、荷作り。
今回は3名が現地に赴く。さいたまからエールを送る。

今回、鹿妻保育所に贈られた物資は①運動靴162足、②保育シート10枚、③扇風機6台、
④浦学応援Tシャツ、⑤浦和銘菓「白鷺宝」(④・⑤先生用)の総額約44万円である。
事前に園児さんたちの靴のサイズをお聞きし、足に合った新品の運動靴を届けることができた。
この天候で、渡波(わたのは)地区の園児さんは道路・家が冠水して登校できず、30名の保母さんと
園児50名の皆さんが出迎えて下さった。そして、一人ひとりに渡すことができた。
阿部所長様の紹介により、教職員を代表して事務部長の車谷から「みんな、東京知っていますか。」
『は~い』と元気声に続き、「ここからは、いくつもお山を越えて、埼玉という所からきました。
昨日の夜出たんだよ。高校生が自分たちのお小遣いからみんなに靴を買ってくれました。
そして、箱の中には一人ひとり違うぬり絵が入っています。
みんな大事につかってね。そして、元気に遊んでね。」と話し、職員が一人ひとり靴を手渡した。
「ありがと」「これ、ぼくの?」「みんなにくれるの?」「無口な子」とさまざまにとらえ方は違うものの、
2,300名の生徒の写真を見せると「うぁ、すごい!」などとびっくりした様子。そして、保母さんの伴奏に合わせて
「夢をかなえてドラえもん」を全員で熱唱してくれた。

冬物の物資しかなく、夏を迎える保母さん30名には浦学Tシャツを贈った。
阿部所長さんは、「一人ひとりに合ったサイズの靴を贈って下さるような支援は初めてです。本当にありがたいです。
園児・先生たちの中には親や兄弟を亡くされ、家が流された方がたくさんいます。
皆さんの支援は、私たちにとって頑張る力を下さいます。
皆様にありがとうといいたいです。」と非常に恐縮され、喜ばれました。
石巻専修大学の伊東同窓会会長は、「浦学さんには石巻にたくさんの支援をいただいている。
子供たちはとても喜んでおり、運動会ができたら見に来てあげて欲しい。」と語った。
最後に、避難生活が続き、避難所のお世話も続けきた所長他保母さんに「少しでも疲れを忘れて…」と。
浦和銘菓「白鷺宝」を差し入れた。

野球推進部が行った支援活動第2弾。
岩手県高校生に続き、石巻市の子供たちに野球用具を!!

4月28日岩手県雫石高校を通じて岩手県球児に贈った野球道具。
その時に一緒に贈っていただいた少年野球用の道具一式を、石巻市支援活動に積み込むことと計画した。
やはりこの鹿妻地区に縁があるのか?出発直前の5月27日朝日新聞朝刊に石巻市立鹿妻小学校子鹿クラブ
少年野球チームの阿部主将から「野球道具を贈って欲しい。」という記事を発見。
今回訪問する鹿妻保育所の隣にあり、4月1日の訪問では浦学ポンチョを100枚配布した小学校である。
保育園児の運動靴を購入した際、有名ブランド㈱チヨダ様から、「少年野球スパイク新品1,000足を寄付したい。」
というご厚意をいただいた。
野球を推進する本校としては、今後の息の長い支援のため、新品スパイクを預かり浦学ルートで現地に打診を行った。

㈱チヨダ様を経由して、有限会社ドゥオモ商事様より少年野球用スパイク新品を462足の協賛をいただいた。
浦和学院では現地事情を考慮し、段ボール箱にサイズを表示、鹿妻小学校子鹿クラブ少年野球チーム監督である
阿部日出喜様を訪問し、グローブ・バット・ユニホーム・すべての衣類4箱分と新品スパイク170足を
支援物資として贈った。
贈られた用具は、宮城県スポーツ少年団野球協議会石巻支部にて市内全チームに配布されることとなった。


健康科学センターの支援活動をサポート 保健医療クラスのボランティア実施へ!
登米市 南方ナーシングホーム「翔裕園」

登米市南方町の「翔裕園」を訪れるのも3回目となる。目的を以下とし、打合せを行った。
①全部活動の応援メッセージポスターお渡し
②保健医療クラスのボランティアの進め方
③携帯型心電図の予防推進活動促進

第3回被災地直接支援メンバー
車谷 裕通(企画部長兼事務部長)、市川 秀夫(情報センター主幹)、
粕川浩子(養護教諭、看護師)
杉浦 早紀(経理部)、河野聖子(企画部)
(一部撮影) カメラマン 川村剛弘


生徒・教職員・保護者の会・同窓会・後援会をはじめとした浦学ふぁみりー皆様からの義援金で購入した
運動靴・その他を石巻市に直接届けました。
その模様が、6月1日読売新聞34面全国版にて掲載されました。

石巻の園児たちは、とてもうれしかったようです。
「この靴で頑張るから、運動会見に来て」と元気よく御礼を言ってくれました。
引き続き、6月24日から26日まで現地のサッカー少年団を浦学に招きます。
今、現地は運動をするスペースはほとんどありません。そんな浦学の復興プロジェクトは現地でも大いに評価されています。
生徒の皆さん、みんなの一人ひとりの力が被災者の方々に伝わっています。浦学生の皆さん、本当に協力ありがとう!!

東日本大震災対策本部

㈱浦和花見様
協賛に御礼
被災地支援に浦和花見様の「白鷺宝」を届けようと購入したところ、「被災地に行かれるなら」と、
たくさんの白鷺宝を追加でいただきました。お陰さまで、一人でも多くの方々に喜んでもらうことができました。
被災の子に新品の靴を
サイズ聞き、「ぴったり」贈る 浦和学院高
被災地で子供の靴が不足しており、子供の足にぴったり合った靴を贈る取り組みが関係者に喜ばれている。

さいたま市の浦和学院高校の職員らは5月30日、宮城県石巻市の同市立鹿妻保育所を訪れ、園児に140足の靴を贈った。
同校事務部長兼企画部長の車谷裕通さんらから新品の靴を手渡された子供たちは「靴が来た」「ありがとう」と
はしゃぎ。お礼に歌を歌ったという。
同保育所は「すべての子供のサイズに合った新しい靴を贈ってもらい、信じられないくらいうれしい」と感激していたという。

同校は震災後、卒業生の安否確認のために東北地方の大学などに電話を入れていたのを機に、
石巻市で教職員がボランティアを行うことになった。
その際、鹿妻保育所で子供が大人用のサンダルを履いていたのに驚いたという。
支援物資の靴の大半は大人用のため、子供用の靴をサイズを聞いた上で贈ることにした。

この日は他にも要望のあった扇風機なども贈った。靴などを購入した費用は生徒たちが集めた義援金が中心だ。
同校は夏以降、比較的安全が確保できそうな場所で生徒たちに災害ボランティアに参加させる事を検討しているという。

読売新聞 6月1日朝刊 34面より
東日本大震災 「今、浦学にできること」
生徒・教職員義援金 石巻に届く!! (仮速報)
台風2号が温帯低気圧に変わったものの、宮城県石巻市は観測史上最高の風雨となった。
5月30日、本校生徒・教職員の義援金で購入した運動靴が直接石巻市立鹿妻保育所の園児たちの手に届けられた。

教職員5名とカメラマンの川村氏一行は、風速35mという立ってもいられない状況の中、仙台市を経由して石巻市に入った。
石巻大橋は水位が上がり、大きな波。橋の上では渋滞の車が大きく揺れ緊張が続く。

「津波はこれ以上だったのだろうな」と思いながら、同乗者の安全だけを祈るしかいられない。
鹿妻保育園に到着。風雨はピーク。全員が浦学ポンチョを着て運ぶもびしょ濡れ。
しかし、園児たちの「靴だ!」の一声に苦難も吹き飛ぶ。
阿部所長さんから「5月中には靴が届くからね」と、待ってくれていたという。
この天候で自宅が胸のあたりまで冠水され、登園できた子供たちは約50名。
事務部長の車谷から「東京知ってますか! その隣の埼玉から、2,300名も多くの高校生
(写真を見せながら)たちがみんなのために靴を贈ってくれました。これからも元気に毎日楽しく過ごして下さい。
箱の中には、一人ひとり違う「ぬりえができるメッセージ」が入っています。」と
紹介し、職員が一人ひとりに手渡した。
園児たちから元気に「ありがとう」と返礼があり、みんなで歌を歌ってくれた。
「この子たちの明日が明るく、幸せに!」それだけを願わずにはいられない。
(詳細は後日、特集にてお知らせします。)

そして、協力してくれた「浦学生、ありがとう!!」みんなの支援は直接手渡されました。

東日本対策本部
東日本大震災 「今、浦学にできること」
生徒・教職員義援金 その「思い」を直接被災地へ運びます

5月29日 石巻市に向け出発

台風2号の北上を背に、3回目の現地支援隊が29日18時に浦和を出発し、23時仙台に到着した。
30日午前10時には、津波の被害が甚大であった石巻市鹿妻地区に到着する。

今回の支援は、食糧や生活用水の過去2回とは異なり、生徒・教職員の義援金で購入し、
その思いを積み込んだ復興支援物資の数々である。

2日間の訪問先として、石巻市立鹿妻保育所・鹿妻小学校・市内被災地訪問・石巻野球シニアチーム・
サッカーチーム「FCインパルス」、登米市南方ナーシングホーム、翔裕園などを予定している。

直接、保育所の園児に贈る運動靴の中には、生徒活動部が学級委員会に呼びかけ、
多くの生徒が参加し作成してくれた「ぬりえ付き」のメッセージカードも含まれている。

仙台・石巻市ともに小雨の予報であるが、新たに現地に入る4名を加え教職員5名の一行は、
30日石巻市、31日登米市にて復興支援活動、災害関連死予防活動を展開する。

東日本大震災対策本部
東日本大震災 「今、浦学にできること」  復興支援プロジェクト
本校では、大震災の状況変化に即応すべく「物資支援」から「復興支援」プロジェクトへ移行してまいります。

復興支援プロジェクト「笑顔・希望」― 明日へ 
被災者の方々が一歩踏み出すスタートを浦学ではお手伝いさせていただきます。
本校生徒・教職員・保護者の会・同窓会・後援会、浦学ふぁみりーが一つにまとまって復興を支援する思いを是非ご覧下さい。
浦和学院高校では、現地での声を大切に支援の方向性を定めています。

★冬から春、そして夏へ入りました。復旧も進まない現地では、田んぼや畑に車が流され放置されたまま。
そこから虻や蠅が多発しているそうです。避難所・保育園では、虫が飛び回り睡眠もできないそうです。
扇風機を贈ってもらえませんか。と新しいご要望が入りました。

5月29日・30日・31日と3回目の被災地支援にまいります。また、状況をお伝え致します。

★とにかく、子供たちが遊んだりスポーツをする場所も道具もありません。

なら、「埼玉へ呼びましょう!!」という企画になりました。1団体でも多くお呼びしたいと思います。

引き続き、皆様からの浄財を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

東日本大震災対策本部
『今、浦学にできること』 5/24号
浦学ふぁみり~プロジェクト「笑顔・希望」-明日へ
Smile and hope Project 3年計画支援体制

生徒たちの思いを形に…
「すぐに行動」直接被災者の方々へ

5月20日
現在義援金 1.124.875円
息の長い支援ができるよう、文化祭などでも引き続き義援金活動を活性化します。

5月30日
義援金で園児の靴を購入
・3回目の石巻市へ 生徒の思いを運びます
・運動靴・保育シート・扇風機を贈ります

6月24~26日
義援金でサッカー少年団を招聘
・被災者の子供たちを浦学へ招待します。
 2.300名の浦学生が歓迎します!!
さらに、今年度中に2団体を招きます。

是非、具体的な行動目標をご覧いただき皆様もご賛同下さい。

★位置付け
過去4回実施した震災直後の物資支援から長引く復興支援を実現するために
「今、浦学ができること」は、「思いをかたちにすること」です。
さまざまなことの活性化に取り組んでいる浦学だからこそできる支援を
浦学ふぁみり~全体で行う「笑顔・希望-明日へ」プロジェクトと位置付け展開します。

★目的
【共通理解】
1.被災者の方々に、浦学ふぁみりー全員が接し「明日への元気」を伝えよう。
2.生徒自ら集めた「義援金」、時間を無駄に経過させず、困っている方々に直接支援しよう。
生徒たちの思いを添えて直接形にしよう!!
3.被災地において「携帯型心電計」の活用を高め、一人でも多くの「災害関連死の一つである
心蔵死(不整脈死)」を予防しよう。本校の健康科学センターを活用していただく。

【石巻市中心】
1.被災地の子供(仲間)たちに笑顔を取り戻そう。
  活動のスペース・憩いの空間・温かい食事を提供しよう!!
2.「部活動の浦学」らしい被災地への取り組みをしよう。

【登米市中心】
1.被災地のお年寄りに元気を伝えよう。
2.「保健医療の浦学」らしい被災地への取り組みをしよう。

★具体的な行動目標
【石巻市中心】
1.石巻市立鹿妻保育園に運動靴・保育シート・扇風機を支援する。(5月30日決定事項)
2.石巻市立鹿妻保育園他に「読み聞かせ隊」を派遣する。(時期未定、秋以降)
3.高校生・中学生・小学生を主体に、その活動の場を「浦学」に招き、全校あげて歓迎する。
①6月24日~26日 東松島市「FCインパルス」サッカー少年団を招く。
②夏休み
③夏休み

【登米市中心】
1.保健医療クラスが南方ナーシングホーム翔裕園を訪問し、地域のお年寄りにボランティアを行う。
(時期未定、調整中)
2.「携帯型心電計」を避難所その他に配置し、心蔵死(不整脈死)の予防を促進する。

【埼玉県内被災者】
1.保健医療クラスが県内避難所を訪問し、被災者への地域のお年寄りにボランティアを行う。
(時期未定、調整中)
2.「携帯型心電計」を避難所その他に配置し、心蔵死(不整脈死)の予防を促進する。

【生徒募集活動】
1.県内転居被災者を中心に、金銭面・成績面の特別基準を設け対応を検討する。

【教職員採用活動】
1.東北地域拡大を促進し、被災地域の大学等機関へ求人活動を展開する。

                       以上
東日本大震災対策本部
東日本大震災 「今、浦学にできること」5/17号
本校所有の散水車が石巻市内で大活躍
石巻専修大学を経由してさまざまな活動に活躍している浦学散水車。
給水車専用ではなく、給水・放水・散水の3通りをこなす優れものだけに、市内でも人気者。
この日は、石巻市長を団長とする800名の「石巻 まちなかプロジェクトに参加、石巻駅前のヘドロと
汚れ除去作業に大活躍だったそうです。
散水車は期間を2カ月延長し、6月末日まで復旧作業のお手伝いをしています。

『応援ポンチョも大好評』
石巻市立鹿妻保育所は海岸から2キロ以上内陸でありながら、津波の被害にあわれた。
園庭にはヘドロと魚で臭気もひどい状況。4月中旬、早期に施設を復園するため清掃と復旧作業に追われていた。
ここでも、施設清掃に浦学散水車が活躍した。
また、4月1~3日の訪問で、甲子園応援用に作成した「応援ポンチョ」を救援物資として
差し上げたものが、作業に役だったという。
「着の身着のまま」避難され、4月中旬に適応する洋服も不足していることから、
小雨交じりのこの日の作業は「とても助かった」。
応援ポンチョは、スポーツ店の協賛(㈱ペースマン大宮店)もあり現地に多数届けられた。
4月下旬の訪問際には「浦学ポンチョ」を着用した姿が街中でも多くみられた。

尚、3月11日からの浦学の動き、並びに校長先生のメッセージも公式サイトには掲載されています
是非、ご覧ください
東日本大震災 「今、浦学にできること」5/13号
★生徒活動部・生徒指導部にできること
『被災された方々に励ましメッセージを送ろう』

4月22日、会議室に生徒会、全部活動のキャプテンたちをはじめとする生徒活動部が集まりました。
「今、生徒活動部ができること」それは「被災された方々に励ましのメッセージを送る」ということ。
NPO共生フォーラムと協力し、ポスターを作成して被災地に送るという計画が始動しました。
各部活動に用紙が配布され、署名とともに生徒から被災地の方々への励ましのメッセージを記しました。
全員の思いが、被災された方々への励ましや支えになってくれることを願い、生徒のみならず
教職員も一緒になって取り組みました。

『生徒たちの思い』
川島仁志生徒会長は4月22日の会議において、浦学の生徒たちに今できることは、被災地の方々を応援することであり、
私たちの応援でお年寄りの皆さんや多くの方々に元気になってもらえればと生徒たちに協力を呼びかけました。
その後集まった数多くのポスターには、「被災者の方々のがんばりに負けないように僕たちも頑張ります」
「辛い登りの後には必ず視野が開けます」など、生徒や職員たちそれぞれからの力強いメッセージ掲げられていました。

浦学では、震災直後から積極的に被災地へ食品や生活用水、野球用具、散水車など、物質的な支援を行ってきました。
この度の生徒活動部による取り組みは、これまでの物質的な支援に加えて、被災された方々への精神的な支援活動の
第一歩となるよう願っています。被災地への支援が必要とさせる中で、被災された方々への精神面での支援は、
今後より必要となってくることでしょう。
浦学は今後も、長期的な視野をもって被災地のために「今、浦学ができること」考え、実行していきます。
東日本大震災 「今、浦学にできること」 5/2号
第4回目となる現地支援-宮城県石巻市にて支援調査報告
4月25日・26日、本校では第4回目の被災地現地支援を、前回同様に石巻専修大学を拠点とした
石巻市内、登米市南方シングホーム翔裕園にて実施しました。
今回の目的は、物資支援に限らない「今後の支援の在り方」を調査する目的で行いました。

1.浦和学院高校の今後の物資支援方法、義援金の使途調査
2.携帯型心電計の被災地における利用促進調査
3.生徒・教職員におけるさまざまな支援活動の可能性の有無

石巻専修大学様の桜は満開
避難所・自衛隊駐留・宮城県最大のボランティアセンター・地元看護学校仮校舎・
石巻市合同庁舎が入り、5月22日の始業に向けてご苦労も多い。

石巻市立湊中学校の桜は倒れても咲き誇っている
被害は極めて甚大な地域。4階のみが避難所になっている。
流されたトラックや車は、未だ校庭に散乱したまま。
学校の再開見込みは立たず、他の学校へ通うことに…。

◆訪問先 4月25日・26日の両日
1.石巻専修大学 散水車の継続貸与について
2.石巻市内をワゴン車で巡回、物資支援の提供
①石巻市 湊地区 ②石巻市立慶妻保育園
3.登米市 南方ナーシングホーム「翔裕園」 物資支援の提供

◆今回の救援支援内容
1.石巻専修大学 マスク6000枚、生理用品500個、飲料水・お茶
2.石巻市立慶妻保育園 生理用品200個(職員34名)、お茶1ケース
3.石巻市 湊地区 飲料水、ペットボトルに入れた生活用水200本
4.登米市 翔裕園 生理用品200個(職員20名)、飲料水・お茶

4月上旬に集めさせていただいたペットボトル。今回も200本を積んで一番被害の厳しい海岸沿いを中心に巡回しました。
避難所生活に限界を感じたご高齢の被災者の方々が、自宅の2階で細々と生活をされています。
周辺は地盤沈下による冠水と余震の影響でライフラインがストップしています。避難生活が続き、心労も極限に
達しています。ここでは、本校独自の携帯型心電計も有効的に役立つことを願っています。

◆被災者の方々の直接ご意見
①昨日、1ヶ月にぶりに風呂に入れた。風呂は無理でも、体を拭くシートが欲しい。
(4/24山形県の温泉地から移動風呂が来たそうです。自衛隊のお風呂だけではとても数が足りません。
米軍の好意で、軍人用シャワーが設置されても蛇口が高く手が届かないそうです。)
②ライフラインが復旧したが、余震で配管や下水道が壊われ新生活の糸口が見えない。
③保育所が合併し園児が増えた。床に座るシートが不足しており困っている。
④車・自転車がすべて流され、近くの商店街は壊滅。内陸部のスーパーまで歩くと数時間かかる。
中古の自転車を購入したが、がれきが多くすぐにパンクしてしまう。
⑤さまざまな物を贈ってもらえるが、下着・靴が欲しい。
⑥老年者は、避難所生活に疲れ自宅の2階にて細々と生活しているが、一切の救援物資は
取りに行かないともらえない。給水タンクは重くて運べない。浦学のペットボトルはとても好評だ。
⑦学校が再開するので、避難所を出たいが行く場所がない。

現地調査と状況を踏まえ、浦和学院高校では次の支援活動の方向性を決定します。

生徒・教職員が自主的に集めた義援金を「時間を無駄に経過させず、困っている方々に直接支援」
「生徒たちの思いを添えて形にする」を実践します。
学校という社会的使命の中で、できることをすぐに実行していきます。

浦学生から被災地の皆さまへ
1.5/2 GDR(グランドデザインルーム)決定事項

支援先:石巻市立鹿妻保育園

海岸から2キロメートルほど内陸であるが、津波で全壊・半壊した地域の避難所として隣接する
避難所の小学校と地域の復旧に余念がない。被災地内にある保育所として活動の拠点となっている。
また、市内他の保育所から40名の園児が転出してきており、さまざまな活動に不足が生じている。
本校散水車の活躍で清掃も逸早く進んでいる。

支援活動を打ち合わせている鹿妻保育所で、園児が靴を返しに来た。「先生、靴ありがとう。」
阿部所長さんに聞くと、「あの子は避難所からサンダルで通っています。遊んだ靴を返しに来たんですよ」と
説明を受けた。物資の中に中古の靴もあると言う。しかし、数量もサイズも全員には行き渡らない。
すべてを失った子供たちには、通園する靴さえもない。
震災から1ヶ月経過した被災地では生活の変化による物資の内容が大きく変わりつつある。
↓ ↓ ↓
①通園している園児に運動靴・長靴150足を贈る。
②本の「読み聞かせ」シート10枚を贈る。
③復興が進み、安全が確保できた時点で、今回編成した「本の読み聞かせ隊」の派遣を約束できた。

2.5/11 執行部会(東日本大震災対策本部)検討事項
支援先:石巻市(東松島市も含む)の小学生・中学生・高校生主体

物資支援の次は心のケア。高校生・中学生・小学生・園児を元気づけられたら子供たちの本当の笑顔が戻ってくる。

学校校庭はほぼ壊滅。被災地域外での空き地は、避難所・自衛隊駐留地・ボランティアセンター・
遺体安置所・仮設住宅・がれき集積所で覆われ、子供たちが活動する場所はないに等しい。
これでは、心のケアどころか、体までも衰えてしまう。子供たちを元気にしてあげる方法はないか、現地で相談をした。
現地では「子供スマイルプロジェクト」が存在する。その一役を担えないか。
↓ ↓ ↓
本校にも組織単位でのボランティア希望が多い。しかし、余震と復興で現地派遣は難しい状況下、
避難所で暮らす子供たちを「浦学へ招待しよう」という取り組みの検討が始まった。
連休や夏休みを利用して一日でも多く「個室のある合宿所でゆっくり寝かせてあげたい」
「サラダやフルーツをたくさん食べさせてあげたい」「サッカーや野球を存分にさせてあげたい」
「絵本を読んで聞かせてあげたい」浦学には2,400名の温かい心があるから…。
是非、諸問題を解決して実現していきたい。なぜなら、被災者の方々が一番望む形だから…。

3.5/11 執行部会(東日本大震災対策本部)検討事項
支援先:登米市 南方翔裕園

石巻から北へ50キロ。登米市の老人ホームがある。日頃お世話になっている蓮田翔裕園の姉妹施設である。
本校健康科学センターの取り組みとして、生徒のボランティア活動、携帯型心電計の活用による
予防と治療が可能になる。

今回、登米市老人介護施設への訪問は20時を過ぎてしまったが、「温かいご飯食べて行って下さい」と訪問者への
気遣いが素晴らしい。さすがに「今夜は石巻に戻りますから」と丁重にお断りしたが、ここの職員の方々も
地域の物資供給の拠点となり、相当の過労な状態なのだろう。
また、お年寄りは大震災で被災され、さらに続く余震に不安を隠せないご様子。きっと「ふれあい」を求めていると聞く。
我々に何か役立てることはないのだろうか。
↓ ↓ ↓
本校では、ポケットサイズの携帯型心電計を利用した遠隔心臓検診「災害関連死の一つである心蔵死(不整脈死)を
如何に予防するか。」を行っている。精神的肉体的疲労の極限で生活されている被災者の方々の心臓死を
少しでも予防するために、心臓専門医の資格を有する小沢友紀雄校長が所長(兼任)となっている当校関連施設である
健康科学センター・MJG心血管研究所の心電図自動解析センターを利用したボランティア活動を行っている。
誰でも、何処でも、いつでも簡単に利用できるポケットサイズの家庭用小型心電計が活躍する。
今回も4月1日に訪問した際、このシステムが大いに役立ち、4月25日再訪問した際に「今日、元気に退院しました」と
朗報を聞くことができた。被災地では医療関係者不足が深刻化しており、震災から経過した今日では、
震災の二次災害を少しでも食い止めていくことが必要であろう。
保健医療クラスと健康科学センターを所有する本校ならではの支援を検討する。
遠隔心臓検診のシステム構築が実現すれば被災地域から携帯電話一本(有線が好ましいが)で測定でき、
予防と診療が可能となる。
これから、息の長い支援活動のスタートとなる。

ご注意
本校では、生徒・教職員が積極的に「今、浦学にできること」に参加しています。
また、独自の大震災対策本部を設け積極的な支援活動の計画を行っています。
しかし、「現地が希望することをすぐに実行する」という考え方であり、被災地を混乱させることはあってはなりません。
計画の中では、教育活動の一環として生徒・一般教職員による現地支援もいずれかの時期に考案中ですが、
「現地の復興の妨げにならず、あらゆる観点から、安全確保が整った地域、状態から実施する。」ことを
大前提としております。現在はその段階ではございません。
居住地の道路にはゴミが山積し、郊外には仮の瓦礫集積所が設けられ、この3週間で街は変わりつつありますが、
復旧復興活動の妨げにならないような活動を現地と調整してまいります。
東日本大震災 「今、浦学にできること」 4/28 号
浦学の方向性
常に前向き、一人ひとりが何をできるか考え、すぐに行動する
未曾有の大震災の教訓を教育の中に活かすこと

頑張る仲間をみんなで応援
甲子園アルプススタンドから被災者の方々を激励
春の高校野球選抜大会、全校応援自粛のエネルギーと費用を大震災に傾けよう。
校訓に掲げた「克己・仁愛・共生」を、浦学生が実践しよう!!

浦学野球部からのできること発信
野球道具を岩手県高校球児へ「震災にも負けず…」

4月11日、ホームページにて呼びかけた「野球道具を岩手県へ送ろう」の反響も大きかった。
「本校野球部だけで集まるだろうか?」という不安をよそに一般市民の方々、卒業生、県内の高校野球チームからも
多くの用品を送っていただいた。中には新品の用具を購入してまで支援して下さった方、
浦学野球部に対しお手紙を添えて下さった方、学校まで運んで下さった方、浦学の震災への取り組みは
地域の方々にもさまざまな形で理解されている。
御礼の電話をおかけした所「次の支援にも声をかけて下さい」と浦学ふぁみり~の取り組みは、ここからも輪を広げつつある…。

寄せられた15箱分の野球用品は、岩手県立雫石高校野球部に一旦集め被災地域の高校に配分される。

みなさんも大切にしている用具をたくさんご提供いただきありがとうございました。
今はグランドも使えませんが、みなさんの思いは東北の球児に元気を与えてくれるでしょう!!

自分たちは野球ができる環境に感謝しています。
甲子園で再会できるために道具を送ります。
浦和学院高校野球部一同
部 長 富岡慎介
監 督 森 士
顧 問 高間 薫・安保隆示・小崎達也
コーチ 内田匡彦・清永 修平
3年生 22名 2年生 23名 1年生 29名 計74名

今、大切なことは気配り、心配りです。
相手の状況を考えてあげる…。
浦和学院高校では、お寄せいただいた物資は種別に分類し表示をして送っています。
ここでも、事務部の新任職員が頑張って荷作りし、4月28日佐川急便で搬送致しました。

ご支援ありがとうございました。
浦和学院高校東日本大震災対策本部

公式サイトには皆さまから送って頂いた野球用品の写真や荷造りの模様も掲載されています
東日本大震災 「今、浦学にできること」 4/23号
3.11大震災から1ヶ月。「今、浦学にできること」を校内、校外に発信しています。
浦和学院高校独自の動きに熱い声をいただき、その使命を感じています。
「一人では何もできないが、浦学さんの動きに加えて!」
「ホームページを見て、野球道具を持ってきました。」(多くの一般の方)
「人がやっていることに便乗しているだけの自分ですが...」と、浦和学院高校からの呼び掛けに前回のペットボトルに続き、
たくさんの野球用具が寄せられました。本当にありがとうございます。
只今、区分け整理中です。分かりやすく表示をして送ってあげる予定です。

校長方針
「一人ひとりが何かを感じ、考え、すぐ行動すること。自分たちに何ができるか、
大震災の教訓を教育に活かすこと」が定着しています。
その中から形になっている内容を紹介します。

外部への動き
≪東日本大震災対策本部≫4月24日から4月27日まで第4回目の被災地支援のため
石巻専修大学様及び石巻市内避難所へ直接職員を派遣します。
今回の派遣は、物資+今後必要なことの現地調査を基本としています。

1.マスク 8,000枚、生理用品500セットなど
(保護者の会役員、松尾様からご寄贈いただきました。是非、被災地へ)

2.「石巻市の子供たちを元気にする会」(仮称)結成へ

3.携帯型心電図のPR 「元気な方こそ検診が必要」
医学博士である小沢校長の即時測定診断
被災地から本校健康科学センターへデータ送信で、即時結果伝達。

4.散水車の継続貸与 街の復旧に役立たせる

5.飲料水・お茶などの差入れ

≪野球推進部・事務部≫
野球用品の呼び掛けをした所、多くの用品が集まりました。新品を購入して送って下さった方もいらっしゃいます。
4月22日で一旦締め切りさせていただきます。

高校野球用品は、岩手県高校野球関係者へ送付し、県内に配付予定です。
(後日、支援者一覧を掲載させていだたきます。)


校内の動き
≪全校生徒≫
大震災から感じたことを作文にしています。

校内は、「節電と節約」を徹底しています。

継続して義援金活動を展開しています。 ≪生徒活動部≫

NPO共生フォーラム様からの依頼に基づき、ポスターを作成し被災地に送ります。
全部活動からのメッセージと個人名で、お年寄りに元気になってもらえれば。
その協力要請が、4月22日部活動キャプテン会議にて行われました。

≪健康科学センター≫
(保健医療クラス)
老人介護施設などでの医療系ボランティアに対応できるよう準備を開始した。

(Peerっ子ルーム カウンセリング室)
「絵本を読み聞かせ隊」を募り、ボランティアに対応できるよう準備を開始した。
こんな取り組みが、被災者の方々の元気に少しでも役立つといいですね。
石巻市から発信できる状況であれば、ホームページにて情報公開をさせていただきます。
3週間前より復旧が進んでいることを願って・・・出発します!

浦和学院高校 東日本大震災対策本部
東日本大震災 「今、浦学にできること」 1ヶ月間の総集編

このたびの東日本大震災により被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

浦和学院高等学校では、3月11日の震災発生当日の校内対応から
東北地方への現地支援に至るまでこの1ヶ月間の動きを総まとめさせていただきました。

本校では東日本大震災対策本部を設置し、高等学校規模以上の取り組みを展開しています。

校訓である「克己・仁愛・共生」に基づき、生徒を主体に「今、浦学にできること」は、
物資支援から変わりつつある現地の要求に対応できる、第2・第3段階を予測しながら準備しています。

「やりたくてもできない」一人ひとりの思いを、浦和学院高校では「浦学ふぁみりー」として前向きに取り組んでいます。
大震災 今、浦学にできること(協力要請) 4/11号

東北地方では、4月7日深夜に大きな余震があり、浦和学院高校が物資支援した石巻市・登米市も回復していた
ライフラインまでもが、停まってしまったそうです。複雑な心境です。

4月1日から3日までの現地の状況、調査を踏まえ、本校では継続的に「今、浦学にできること」を考案中です。

メディア情報とは一部異なり、「食糧飲料は足りている」等々の認識から、ボランティアセンターの混乱を避けるため、
支援先を固定して浦和学院高校としての支援を継続してまいります。

(次回の支援に対して)実際の被災者の方々(石巻市・登米市の場合)では、
1.水道が寸断されていれば、「生活用水」が欲しい。
 洗濯したい。お風呂に入りたい。きれいな水で手を洗いたい。家を掃除したい。
2.下着が欲しい。「新しいものをいただいても、洗濯ができずに困っているから」

学校内では、
1.携帯型心電図を被災地に多く浸透させ、体調・心のケアの一助としたい。
 現地調査6名のうち1名の異常者を受けて、医療機関だけではできないことを本校が実践していく。

2.石巻専修大学様に貸与している散水車が被災地に有効利用されていることの継続検討。

3.生徒・教職員からの義援金の支援方法。(本当に困っていることの調査を実施中)

★4月11日、新たな協力要請
本校野球部としては、岩手県高校野球連盟からの要請により、「被災した高校野球部員に用具を送ろう」と計画しています。

グローブ・練習着・アンダーシャツ・ソックス等なんでも結構です。

浦和学院高校の野球部OBだけでも1,000名を超えていますので、ホームページをご覧になった方々は、浦和学院高校までお譲り下さい。

本校にて、支援者一覧にまとめて岩手県に送付したいと考えています。

森監督の話「野球ができる場所は甲子園だけではありません。地方で頑張っている高校球児のためにも
率先してできるチームが、できることをしたいと考えています。自宅に眠っている野球用具を仲間のために譲って下さい」。

「被災した高校野球部員に用具を送ろう」
▼用具受付  埼玉県さいたま市緑区代山172番地
          浦和学院高校東日本大震災対策本部

          ※「野球用具在中」と明記して下さい。
▼用途     今回は、硬式野球用具に限らせていただきます。
▼期日     平成23年4月22日まで

浦和学院高等学校東日本大震災対策本部
大震災 今、浦学にできること
4月1日から4月3日にかけて、浦和学院高等学校では東北地方に災害物資の支援を行いました。
現地では、多数の避難所を直接訪問し、お見舞いと物資の提供を行いました。

現地の模様を4月5日火曜日 18時30分頃から5分間、NHK FM82.5のなかでも、
電話でのライブで放送される予定です。

◆対応への協力
専修大学学長室様、石巻専修大学事務課様
石巻専修大学校友会会長 伊藤様

◆物資支援の寄贈
お煎餅70箱 喜多山製菓株式会社様 (片岡同窓会会長)

ペットボトル多数 代山・寺山・中野田自治会の皆様、県立南稜高校野球部様
一般の皆様 卒業生の皆さん

飲料水等 社会福祉法人 元気村様

◆物資支援購入への早期対応
飲料水40ケース 西武商事株式会社様
燃料 鈴木清作商店様

本校野球部が物資支援の準備協力をしてくれました。

浦和学院高校 東北・関東大震災対策本部

※この記事は浦和学院高校の公式サイトに掲載されているものです
このサイトでも救援物資のお願いをさせて頂きましたのでそのご報告の為にも転載させて頂きました

記事には写真も掲載されていますが、そちらはぜひ、浦和学院高校公式サイトよりご覧ください
なお、写真を掲載しないため、文章を一部管理人が変更させて頂いております
ご了承ください


『被災地からいただいた元気と勇気』

宮城県石巻港-現地からのリポート
今、浦学にできること

「涙の数だけ強くなれる…」というZARDの大好きな歌である。被災者の方々は、満面の笑顔で接してくれた。
本当にそうなのだろうか…。私の方が涙が止まらない。
正直、戸惑ったが、「常に前向きに、一人ひとりができることを推進する」が本校の校長方針である。
学校という枠を超え、社会的使命を背負い、教育現場として生徒たちに何かを伝えられれば…。
そして、何か行動に起こせれば…。そんな思いで、被災地への支援を実施した。

①実際の家を失った被災者の伊藤氏(石巻専修大学校友会会長)が、避難所訪問に同行して下った。
本当に困っている部分に手を差し延べることができる方で、自分のことより常に人のことを心配されていた。

②避難所によって、規模待遇が異なっていたが、「浦和学院って、あの野球が強いところ。頑張って下さい」と励まされた。
浦学の「甲子園応援ポンチョ」を着て嬉しそうに話しかけてくれた。

③避難所として管理されている石巻専修大学職員の方々が、校舎と布団を用意して下さった。
(氷点下の中であったため、とても嬉しかったが、被災者の方々の気持ちを共有するためバスの中で生活した。)

④東北高校野球部員が2時間もかかる石巻市内でボランティアをしていた。
崩れ落ちそうな校舎の中で、避難所の確保をしていた。浦学のバスを見て、元気よく挨拶してくれた。
敬意をはらうため、ポンチョとお煎餅を差し入れた。
総監督以下、全員並んで御礼をしてくれ、「夏に甲子園で会いましょう。」と声をかけることができた。
浦学の職員・卒業生で良かったと実感できた。

⑤南方ナーシングホームでは、我々を労ってお昼を用意して下さった。
ウインナーを焼いて下さり、とても美味しいお米とカップ麺の味は、一生忘れられない。

⑥真壁施設長は、「石巻の方が大変だから、そちらに物資は多く降ろしてあげて下さい。」と素晴らしい心の持ち主だった。

⑦施設の前で道を聞いた方が、ガソリンも売っていない地域でありながら「遠いところからわざわざ」と30キロも離れた
栗原市の高速道路まで先導してくれた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

最後に、原発問題や余震が続く中、被災地への同行に自ら賛同してくれた同僚と部下の高野氏・安斉氏には、心から感謝したい。
君たちのおかげで目的が達成できたと思っている。本当にありがとう。

浦和学院高校 企画部長兼事務部長 車谷 裕通

『大震災、浦学ふぁみり~独自の支援、現地訪問』
生徒・教職員・地元自治会・取引先・一般の方々・卒業生の「思いを東北へ」
宮城県石巻市/石巻専修大学、市内避難所7ヶ所を訪問
登米市/南方ナーシングホーム「翔裕園」を訪問

3月26日のさいたま市内避難所支援に引き続き、浦和学院高校では、東北の被災地への支援を実行した。
「今、浦学にできること」。それはタイムリーでしかない。

本校では、現地関係者からの情報をもとに「生活用水」を主とした救援物資を決めた。
「食糧や飲料水は行き届いているが、トイレを流す水がない。手を洗う水は泥水。」こんな声に逸早く反応した。

「ペットボトルを回収して水道水を送ろう」こんな発想が浮かんだものの、学校は休校中。
ホームページでの協力要請と甲子園から帰ったばかりの野球部員が地元自治会を一軒一軒歩き、
ペットボトルの提供をお願いした。その輪は、地域だけではなく卒業生や一般の方々にまで広がった。
鉛筆、携帯カイロ、トイレットペーパー、お菓子等々、皆さんの思いが寄せられた。

予想以上の大反響。宅急便でもたくさんの容器が集まってくる。
野球部の生徒たちは、千本を超えたペットボトルを丁寧に洗浄までしてくれた。
そして、本校にはグランド整備用の散水車がある。「飲料は難しいが、生活用水なら」と散水車に
4千リットルの水道水も用意された。そのほかの救援物資も学校が購入し、必要な物を準備した。

石巻市に向け出発
4月1日、23時高校職員2名、専門学校2名の計4名でマイクロバス・散水車・ワゴンの3台を連ねて出発した。
目的地まで400キロ。

那須を過ぎ、福島県に入るあたりから高速道路も段差が目立ちはじめ、思うように走行できない。水は思ったより重い。
宮城県に入っても建物の損壊は認められないものの、道路事情は悪化するばかり。
5時間を想定していたが、8時間の強行軍となった。

仙台南部道路から仙台東部道路に入った瞬間、右側の景色が一変。仙台空港に近いこともあり、
想像を絶する光景にハンドルに涙がこぼれおちてくる。高速道路もさらに50キロ規制だ。

石巻専修大学を拠点に支援開始
数多くの被災地の中から、本校が石巻市を選んだ理由は、
①浦和学院専門学校看護学科新入生が被災した。
②本校卒業生が学ぶ、学校法人専修大学様の併設校である。
③卒業生が学ぶ他の東北地区の大学は、被害が少なかった。
④職員の知人がボランティアをしており、不足品の情報がリアルタイムに寄せられた。

このような状況から、石巻専修大学様の駐車場等を拠点に物資支援、生活用水の支援を展開した。

避難所に給水する「浦和学院所有の散水車」

散水車は、本校グランドの散水に使用されているもので2台所有している。
散水車を1ヶ月間お貸しすることが決定。
上下水道が寸断されている石巻専修大学内に設置された。

そして、石巻市内の避難所へ
最初に亡くなられた方々の供養と思い埼玉から供花を…。

ボランティアセンターが活動しているが、石巻専修大学様に物資が行き届いていない避難所を探して頂いたところ、
市内で学習塾を経営されている伊藤氏(石巻専修大学校友会会長・専修大学校友会副会長)を紹介いただいた。
伊藤氏は自宅が全壊された被災者でありながら、市内7ヶ所の避難所の道案内をして下さり、
各本部との交渉役を務めて下さった。そのおかげで、必要な物を必要なだけたくさんの避難所に配ることができた。

①法山寺幼稚園(お寺) 50名程度
②石巻市立慶妻小学校 300名程度
③石巻市立慶妻保育園 小学校と連動
④石巻市立渡野波中学校 50名程度
⑤石巻市立万石浦中学校 お風呂の提供のみ
⑥石巻市立湊中学校 50名程度
⑦石巻市立湊小学校 300名程度

慶妻保育園でペットボトルの「浦学命の水」を支援し、保育室の清掃が開始できることになった。

もっとも被害の大きかった中学校。建物の4階が避難所に。ライフラインなど何もない…。
4階は津波を免れたため、避難所に。ここでは枕が喜ばれた。

プールにまで、車が流された小学校。

ある中学校では、甲子園に出場した東北高校野球部の皆さんが教室掃除をしていた(毎日2時間かけて石巻まで来られていた)
甲子園を目指す同じ仲間として、被災者である東北高校の選手たちにもポンチョとお煎餅を差入れした
総監督より御礼を受け、「また、夏の甲子園で東北高校と浦学が会えるように頑張りましょう!」と激励した。

ある小学校では3歳の女児と出会った。なんとなく持参していた本と、自治会員から預かった鉛筆が喜ばれた。

道に大きい船が…。伊藤氏の案内がなければ、町の細部にまで入れなかった。

小学校は、流された車のガソリンが炎上してすべて燃やされてしまった。

浦和学院専門学校に入学が決まっている女子学生の自宅は流されてしまったが、ご家族無事で一安心。
東北入試から顔見知りの事務主任 安斉氏は、「とにかく、ほっとしました。」と物資をたくさん差入れした。

さらに北へ50キロ登米市内の福祉施設へ
内陸にあるため津波の影響はなかったが、揺れが強くすべてのライフラインが寸断。つい最近復旧した。
入所者は水で溶かす流動食で1週間凌いでいたとのこと。
本校とは、蓮田市に同施設があり、生徒がボランティア等でお世話になっている関係で支援を決めた。
この町は、すべてのガソリンスタンドは営業していない。南三陸町への玄関口ともなっていた。

この支援中、私たち4名もマイクロバスの中で寝泊り、自炊をして生活しました。
しかし、温かいスープが食せることの幸せを大いに感じました。

校長の医学博士小沢より、次にできることとして、「携帯心電図」によるテストも指示された。
石巻で3名、登米で3名のデータ(1人30秒)をさいたま市にある本校の健康科学センターに転送し災害地での心臓疾患早期発見を実施した。
実際に1名の異常が認められ、施設を通じ本人へ瞬時に伝達された。画期的な試みである。
協力要請の御礼

3月28日のペットボトル協力要請につきましては予想以上の反響があり、地域の皆様、多くの皆様にご協力いただきました。
ペットボトルのみならず、文房具・生活用品の多数もお寄せいただきました。
小さな子どもさんが多数協力していただけたことも教育現場としては、嬉しい出来事でした。
4月1日夜半より石巻に向けて、「皆様の気持ち」を運ばせていただきます。
ありがとうございました。

東北・関東大震災対策本部

※これから下の記事は浦和学院高校の関係者の方から管理人が確認したことです

今後も支援は継続していく予定のため、その都度被災地の方のニーズに合わせて支援物資を募集いたします
頻繁に浦和学院高校公式サイトをご覧いただきますようお願いいたします
浦和学院高校からのお願い
協力要請!!
不要になったペットボトルの容器を譲って下さい

大震災から2週間が経過、燃料の補給が可能になった現在、被災地から求められているものも変化していきます。
行政だけでは行き届かない分、「今、浦学にできること」を考えています。
浦和学院高等学校・浦和学院専門学校では、専門学校出身者がおり被災状況が極めて深刻な地域、大学との学校間交流の中で
「石巻市」への支援を考えています。
現地ボランティアからの情報では、ペットボトルの飲料水は多少あるものの、ライフラインが寸断されているため、
生活用水が供給されていないようです。
手洗いは泥水、トイレは流せない状況のようですので、4月2日から4日まで休日を利用して両校の有志3名で
現地に支援物資を搬送することとなりました。
つきましては、水道水を入れられるペットボトルを譲っていただけませんか。大小は問いません。
車に詰め込める限り、水道水を持参していきたいと考えています。
取引先の皆様にもご協力、教職員も出校日にご持参下さい。

不要になったペットボトル容器
4月1日までに浦和学院高校へお譲り下さい。

▼第3回支援物資輸送先
宮城県石巻市(石巻専修大学内避難所を予定)
宮城県仙台市(社会福祉法人 元気村を予定)

▼支援物資の内容
・飲料水 お茶等 ・携帯用カイロ ・枕、マスク
・甲子園で使用したポンチョ(カッパ) ・生活用品等 ・生活用水(水道水)
・散水車1台に生活用水を入れて持ち込みます。
※散水車は、グランド散水用として2台保有しています。

浦和学院高校 東北・関東大震災対策本部

お持ち頂く時間
9:00~17:00

ペットボトルの大小は問いません
ラベルをはがしていただけると非常に助かります

※これから下の記事は浦和学院高校の関係者の方から管理人が確認したことです
支援物資は、4月1日までに間に合わない場合は後日でも構いません
今回は第1便で今後も支援は継続していく予定のため、その都度被災地の方のニーズに
合わせて支援物資を募集いたします
頻繁に浦和学院高校公式サイトをご覧いただきますようお願いいたします
第83回選抜高校野球大会応援団自粛について

第83回選抜高等学校野球大会に本校と野球部が選ばれたことは大変喜ばしく名誉なことであります。
しかしながら、先の大震災において東北・関東・甲信越・東海地方にて被災した多くの方々のために
浦和学院高等学校では、甲子園球場において学校団体としての応援を実施しないことと決定致しました。
生徒応援団・一般応援団の募集を中止させていただきます。

基本方針と理由は以下の通りです。

浦和学院高等学校へのご声援、または浄財を賜った方々には大変心苦しい限りですが、
何卒、本校の決定にご理解をいただきたくお願い申し上げます。

浦和学院高等学校 東北・関東大震災対策本部


出場する野球部選手諸君の健闘を讃えた上で、
1.学校のスローガンである「頑張る仲間をみんなで応援!!」の「今、浦和学院高校にできること」を最優先する。
  ・甲子園球場アルプス席の応援にとらわれず、浦和学院高校独自の応援の形を実践する。
   方法は、試合当日に公開致します。
  ・甲子園準備に注いでいたエネルギーと備蓄してある物資を被災者の方々のために最大限に提供する。
  ア.生徒自らが募金活動を実施し、救済と復興に尽力する。
  イ.応援団用のポンチョ1,000着を救援物資とする。
  ウ.3月11日地震発生直後から備蓄した水・マスク・消毒液・有期パン等を被災地へ救援物資とする。
2.被災地への物資輸送を最優先する状況下において、応援団輸送を自粛し、要する燃料・弁当食材等を
  被災地に振り替えていただく。
3.余震等が治まらない状況の中で、生徒応援団・一般応援団の行程中における安全確保を最優先する。
  断続的に発生する計画停電において、集合地・解散地、交通機関の安全を確保をできない。
以上を検討した結果、浦和学院高等学校応援団は野球部メンバー外の選手23名のみを
安全に新幹線輸送し、甲子園にて応援します。

ご案内
★個人で浦和学院高校を応援して下さる方々に、2社の旅行社をご案内します。
(乗車券と宿泊のみ)
JTB首都圏法人営業埼玉支店 048(645)3003
 近畿日本ツーリスト埼玉教育旅行支店 048(641)7015

★自粛の方針から応援グッズは、3月23日のみ学校窓口で販売致します。
ポンチョ・帽子・メガホン 3,990円 (すべてセット売りとさせていただきます。)
尚、販売時は「被災地への募金」協力をお願いしています。

アルプス入場券は、甲子園球場でお買い求め下さい。

浦和学院高等学校 企画部 事務部
大震災 今、私たちにできること

浦和学院高校のスローガンは「頑張る仲間をみんなで応援!!」。
本校生徒・教職員はもとより、日本が置かれている危機的な状況の中で、
「今、私たちができること」を真剣に考え実行しています。

 浦和学院高等学校・浦和学院専門学校・明星幼稚園を経営する学校法人明星学園の全教職員は、
この教訓を教育の中に生かすため、学校という枠を超えて社会貢献に努めています。

 「今、私たちができること」=「甲子園スタンド以外でも、この瞬間にできること」です。

 浦和学院高校の取り組みです

企画部


◇東北・関東大震災 今、私たちにできること


さまざまな状況の映像、さらに原発問題。私たちの身の回りでは、計画停電・ガソリン不足による影響。
そして、校舎の損傷した部分の点検確認、是正工事。

 その間には選抜高校野球応援自粛決議、終業式開催等目まぐるしく時は過ぎました。
19日、安全管理のもと無事に終業式を終了し、3月20日~4月7日まで臨時休校・休業となりました。

 被災地の気温は今日も零度、小雪の予報。
大震災発生直後からさまざまな状況を記憶にたどっても、自然と涙がこぼれてきます。

 しかし、「常に前向きに行動」という校長方針に基づき、今、この瞬間に私たちができることは何か。
さらに甲子園のスタンド以外でもできることは何か。全校生徒・全教職員で考えてきました。

 17日、本校では「東北・関東大震災対策本部」が設置されました。物資はタイムリーに搬送できない。
直接、被災者に届かない。行政から求められている物品と差異がある。等々の問題を解消するため、
あらゆる手段を駆使し、間接的ではなく、直接支援できる方向性を模索しています。


◇学校全体支援 今、私たちにできること
 浦和学院高校・浦和学院専門学校は、大震災発生直後からあらゆる事態を想定して行動してまいりました。
余震・計画停電が続いているとはいえ、震災現地から見れば極めて恵まれた状況です。
臨時休校が決まり、生徒・教職員のために備蓄していた物資を、「着の身着のまま避難された方々」に
直接送り届ける準備を進めています。

 校長であり医学博士の小沢校長は、「先を読み、物資の次に必要なことを即、計画する必要がある」と、
本校「ピアっ子ルーム」のカウンセラー派遣の検討にも着手しました。

【第1回支援】
・3月18日 実施済み NPO共生フォーラム様(仙台市にある福祉施設2ケ所に直接搬送)
 灯油100リットル、アルコール消毒液40リットル、マスク1万個、ペーパータオル1万枚

【第2回支援予定】
・3月22日~26日の週 NPO共生フォーラム様(仙台市にある福祉施設2ケ所に直接搬送予定)
 水240本、お茶240本、健康食品53食、有期パン200食、ポンチョ500着、使い捨てカイロ300個

【第3回支援予定】
・期日未定 さいたま市へ避難された方(直接お渡し)
 水240本、お茶240本、カロリーメイト200食、ポンチョ700着

【打診中】
・本校卒業生が進学した5大学に物資支援を打診中


◇生徒会活動支援 今、私たちにできること
3月19日終業式。生徒会が主催となり震災義援金の募金活動が始められた。
13日に決定していたが、臨時休校が重なりこの日の実現となった。
クラスでは学級委員が中心になり全校生徒へ呼びかけた。

3月19日現在


1年生 116,075円
2年生  78,958円
教職員 169,508円

  計 364,541円 継続中

※これらに、文化祭収益金の繰越金を充当する予定。

◇甲子園応援自粛から 今、私たちにできること


 春の甲子園7回目となる本校は、そのノウハウを生かし準備を進めてきました。
大震災発生後、主催者側の開催決定前に「学校応援団派遣自粛」を決定しました。
甲子園アルプス席で着用予定であった「応援ポンチョ」を被災者の方々に学校より1,000着、
販売店の(株)ベースマン様より200着配布していく予定です。「気持ちも心も少しでも温まれば」と考えています。

●ポンチョ200着を寄贈して下さった取引先
(株)ベースマン大宮支店

●上記の商品を購入する際に迅速に対応された取引先
西武商事(株)川口営業所様 鈴木清作商店様



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